Cineman

キューブリックに魅せられた男のCinemanのレビュー・感想・評価

-
『キューブリックに魅せられた男』
トニー・ジェラ監督
2017年公開 アメリカ

鑑賞日 2023年6月10日 U-next

1970年代半ば。
新進の若手俳優だったレオン・ヴィタリは映画「バリー・リンドン」に出演。憧れの天才キューブリックに演技を認められて天にも昇る気持ちでした。
その挙げ句俳優の道を捨ててキューブリックの専属アシスタントに転身します。
キャスティングから子役の世話係、プリントチェックに至る、映画作りのさまざまな雑事をこなし、キューブリックが亡くなるまでの25年間ひたすら献身的に働く滅私奉公の人生を送りました。
ヴィタリの数奇な半生を彼自身と多くの関係者の証言、貴重なキューブリック監督の撮影風景の動画や写真を交えて語られるドキュメンタリー作品です。

【Prologue】
イギリス人俳優のレオン・ヴィタリは学生時代に『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』に衝撃を受けスタンリー・キューブリック監督に心酔していた。
俳優として活躍し始めた25歳の時に『バリー・リンドン』のオーディションに合格してブリンドン子爵を演じて脚光を浴びた。

『バリー・リンドン』公開後ヴィタリにはエージェントの申し込みやら王立シェイクスピア劇団からの出演依頼やら国立劇場からのオファーなどが舞い込みました。
ところがヴィタリは「出演の条件として撮影後に編集の仕事につきたい、ギャラはいらない」と申し出てB級フランケンシュタイン映画に出演しました。
裏方で参加することにより映画の創り方を勉強することに決めたからです。
そのことをキューブリック監督に連絡したところ『シャイニング』の脚本が送られてこれを読むようにと言われます。

後日キューブリックから脚本を読んだかと連絡があった時にヴィタリは「ワクワクするプロジェクトだ」と答えた。
「どうだアメリカに行ってダニー役の子供を探しにいかないか」とキューブリック監督に誘われたヴィタルはすべての出演依頼を断り子役探しにアメリカに旅立ったのです。

その後『シャイニング』(1980)、『フルメタル・ジャケット』(1987)、『アイズワイドシャット』(1999)、役者としての栄光の日々を捨て去りその後25年間キューブリックのアシスタントとなったレオン・ヴィタリの激動の日々が綴られます。

【Trivia & Topics】
◯キューブリック没後20年を記念して公開されたドキュメンタリー。
キューブリックへの絶対的忠誠を誓った俳優レオン・ヴィタリが25年間狂人的完全主義者のアシスタンとして完璧にこなした過酷な日々の真実に迫ります。
巨匠の雑事に追われた彼の姿を、ライアン・オニール、R・リー・アーメイ、マシュー・モディーン多くの映画人が証言します。

◯ヴィタリがキューブリックに認められたシーン。
『バリー・リンドン』で、多くの友人に囲まれた母親のピアノ演奏会の途中、弟にサイズの大きな靴を履かせ靴音を響かせて歩かせながら大広間に入ってくるブリンドン子爵。
そして大広間の真ん中に立つと母親に「これ以上ワタシは耐えられない、このまま疫病と暮らす気はない」と怒りを爆発させるシーンがとても印象的でした。
このシーンの撮影後「素晴らしかったよ君には続けて出てもらう、シーンも書き足すよ」とヴィタリはキューブリックに褒められました。
キューブリックはセリフを覚えていない役者をその場でクビにするほど厳しい監督です。そのキューブリックからの褒め言葉でヴィタリは天にも昇る気分でした。

◯わお〜ダイアン・アーバスの双子だ!
『シャイニング』のダニー役を探すためにヴィタリは4,000人の子どもをオーディションしました。
妙な言い回しの癖がある子どもばかりでオーディションは難航しましたが最後の日に現れたのが双子の女の子でした。
「わおー、ダイアン・アーバスの双子が見つかった」と大喜びしたヴィタリは映像を10テイクも撮ってキューブリックに「アーバスの双子ですよ!」と言って見せます。映像を見て喜んだキューブリックは「決まりだ」と即決しました。

◯無作法な息子に反逆されたバリー。
『バリー・リンドン』で息子に腹を立てたバリーがブリンドン子爵を床に押さえつけ殴る激しいシーンは30テイク続けられた。バリー役のライアン・オニールは、ヴィタルに本当に彼にすまないと思ったがキューブリックがもつともっと激しくやれというので申し訳ないと思いながら続けるしかなかったと語っている。

◯ヴィタリの頑張り。
スタジオにカメラを持込んで撮影するとキューブリックはヴィタルに露出のことを教えてくれた。
元ルック誌のカメラマンだったキューブリックは撮影のすべてをヴィタリに教え宣伝用のスチール写真も任されるようになりました。
ヴィタルは『シャイニング』の舞台になるホテルの参考としてシカゴ、デンバー、カンサスシティ、行く先々の街の全ホテルを回ってあらゆる種類の部屋を撮りまくりました。
ヴィタリにとっては天国のような日々でした。
『フルメタル・ジャケット』ではキャスティングも任されて何千本の役者たちのビデオテープを見ました。

◯キューブリック作品の修復。
キューブリックの死後、ヴィタルはキューブリックのほとんどの映画の映像と音声の両方の要素の修復を監督しました。

◯『シャイニング』の双子と『フルメタル・ジャケット』の教官。
『シャイニング』の台本にはなかった双子を見つけ出したのも、『フルメタル・ジャケット』の鬼教官を
元教官R・リー・アーメイをキャスティングしたのもヴィタリだ。

◯本作の原題『Filmworker』。
レオン・ヴィタリは自分の仕事のことを「映画仕事人」と名付けていた。
ロケハン、キャスティング、演技指導、効果音制作、スチール撮影、ネガ・チェック、公開プリントのチェック(全世界)、DVDのパッケージデザイン、予告編編集、DVD店のディスプレイのチェック、チラシ制作、パンフレット制作、映画会社との交渉、映画製作と公開のありとあらゆる仕事が任されたばかりか、監督の自宅の書庫の整理、掃除、飼い猫の世話、撮影がない時にはキューブリック監督からの電話やFAXやメモで送られてくる指示をすべてこなす24時間体制のアシスタントだった。

◯ヴィタリのクレジット。
『シャイニング』:Personal Assistant to the Director

『フルメタル・ジャケット』:Assistant to the Director、Casting

『アイズ・ワイド・シャット』:Assistant to the Director、Casting役者としてRed cloak。

◯2017年カンヌ国際映画祭。
本作は2017年5月19日にカンヌ国際映画祭でプレミアム上映されてスタンディング・オベーションを受け、ドキュメンタリー部門の最優秀賞にノミネートされました。

◯本作の登場人物。
キューブリック監督と仕事をした俳優や映画業界の専門家、さらにはヴィタリの家族がインタビューされています。
ライアン・オニール(『バリー・リンドン』のバリー・リンドン)、ダニー・ロイド(『シャイニング』のダニー・トランス)、マシュー・モディーン(『フルメタル・ジャケット』のプライベート・ジョーカー)、R・リー・アーメイ(『フルメタル・ジャケット』のハートマン砲兵曹長)、リチャードソン(『アイズ ワイド シャット』マリオン)、ステラン・スカルスガルド、ペルニラ・オーガスト、ブライアン・ケプロン、トレヴァ・エティエンヌ( 『アイズ ワイド シャット』の遺体安置所)。
映画業界の専門家としてはワーナー ブラザーズの幹部であるジュリアン・ シニア、ブライアン・ ジェイミーソン、ウォーレン・リーバーファーブ、スティーブ・サウスゲート、ネッド・プライスなどです。

◯鬼教官のこと。
ベトナム戦争を描いた『フル・メタル・ジャケット』で最も印象的なのは初年兵たちをしごく鬼教官だ。
「話し掛けられた時以外口を開くな口でクソたれる前と後に“サー”と言え分かったか、ウジ虫ども」、
「貴様ら雌豚がおれの訓練に生き残れたら各人が兵器となる。戦争に祈りをささげる死の司祭だ。しかしその日まではウジ虫だ!地球上で最下等の生命体だ。貴様らは人間ではない。両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!」「俺はキビしいが公平だ。人種差別は許さん。黒豚、ユダ豚、イタ豚を俺は見下さん、すべて平等に価値がない!おれの使命は役立たずを刈り取ることだ。分かったかウジ虫ども!」「誰だ!どのクソだ!アカの手先のおフェラ豚め!ぶっ殺されたいか?!」「上出来だ、頭がマンコするまでしごいてやる、ケツの穴でミルクを飲むまでシゴき倒す!」

次から次へと新兵を機関銃を撃ちまくるように大声で罵倒する鬼教官を演じたのがR・アーメイ。
当初、彼は『フル・メタル・ジャケット』のテクニカルアドバイザーとして参加していたのですが、演技指導で彼の罵詈雑言の迫力を見たキューブリック監督がハートマン軍曹役そのものを与えました。
そのアーメイに徹底的に演技指導したのがヴィタルです。アーメイは決められたセリフ以外にもアドリヴで新兵たちを怒鳴りまくりました。
キューブリック監督は何十テイクも重ねる監督として有名ですが、アーメイについては「これまで仕事をしてきた中で最高の俳優の一人で、1シーン撮るのにたった2、3回のテイクで十分だった」と語っています。

◯キューブリック回顧展。
2019年に開催されたキューブリック回顧展。
『シャイニング』のタイプライターや斧、蝋燭の光で撮影された『バリー・リンドン』で使われた本物の蝋燭、キューブリックの膨大なメモ、公開時のポスターなど無数の貴重な展示物。
誰しもがよく残っていたな〜と驚きました。それらを提供出来たのはヴィタリしかいない。
にもかかわらずワーナーの招待リストにヴィタリの名前はありませんでした。
しかしヴィタリは友人・知人から案内を頼まれと何度も何度も会場に出向いて展示品の思い出話を懐かしそうに語ってきかせました。

◯『アイズ ワイド シャット』。
1997年7月16日に公開されたキューブリック監督の遺作です。
1997年3月2日。キューブリックと主演のトム・クルーズとニコール・キッドマン、ワーナーのスタッフの4人で極秘0号試写がありました。
その5日後3月7日にキューブリックは急死しました。

◯奴隷の死。
キューブリック監督死後もヴィタリは全世界で販売するDVDの修復作業などに全力を注ぎました。彼にしか出来ない仕事です。
人生の三分の一を稀有な天才監督に奴隷のように身を捧げた静かなる男レオン・ヴィタリは2022年8月19日に亡くなりました。
享年74歳。

映画とは何かを追求し続けて誰も考えられないほど革新的な映像を撮り続けた孤高の天才スタンリー・キューブリック監督に人生を捧げた一人の男の物語です。
少なくとも「映画が好きだ」という方にはぜひ観ていただきたい作品です。
ドキドキします。

【5 star rating】
☆☆☆☆
Cineman

Cineman