ヨミ

キングダムのヨミのネタバレレビュー・内容・結末

キングダム(2019年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

思ってたより悪くなかった。
近年の日本映画としてはお金をかけているんだなあと思ったし、後半につれ馬力が上がった印象を受けた。
基本的に映画には驚きを求めているので、「おっ」と思えるところがあれば3点をつけるようにしていて、山の民が頭に矢を打たれたところや昌文君のフェイク生首が出るところが良かった。その点では最後に成蟜の首を掲げるとかやってほしかった。

ぼく自身は実写化を過度に嫌がることはどうかと思っているのだが、実写化の問題としてやはりメディア的特性を考えていないとボロが出るということがあるだろう。つまり、マンガ的アニメ的演出は、それらの平面的な虚構に「過剰に」リアリティを与えてその世界の実在を信じさせる。しかし実写の映画は被写体の立体が故に(バザンの言うような写真技術の延長としての現実を映す映画としてでもあるが)過剰なリアリティ、マンガ的アニメ的な演出が映画的リアリズムを損なわせるのだろう。「フッ」と笑みを浮かべたりするところとか、王騎の「ンフ」という笑いが明らかに発音されるところだとか、一件が終わった後にみんなで笑い合うところなど、表情や反応が過剰である。
あとウェザリングや汚しが全体的に中途半端で、まあ朝ドラとかよりははるかに頑張っているのだが、戦場においても橋本環奈の顔が常に綺麗なのは契約上の問題なのだろうか。
Wikipediaによれば原作者も納得の脚本とのことだが、そこはやはりマンガと映画の違いだろう、構成にやや難がある。漂が政の身代わりになって、という最初のポイントを信が理解するシーン。「わかったぞ」と信が言うまでに観客はおそらく理解できているので、信が観客より1.5段階くらい理解が遅れてしまっているのでペースがゆったり感じられる。その後は特にそういう箇所があるわけではないので、信は愚かなキャラではないのだろう。それと貂が昌文君の兵士に自己紹介をするシーン。直後に山の民と同盟を結ぶことを昌文君に思い付かせる必要があるために「俺は山のもんだ」という台詞は必須なのだろうけど、「河了貂。貂でいい」という台詞は信と政と出会うときと重複し、観客は全く同じ台詞を2回聞かされることとなっている。マンガで話数を分ける場合にはそれでいいだろうし、コマや吹き出しの大小で時間性を調節できるだろうけど、映画は単一の時間性なので無為な重複に見えてしまう。
また、やはり小道具の微妙なリアリティのなさというのは浮いてしまうが、これは恐らく予算の問題なのでかわいそうな気はする。王騎の矛とか、あまり実在感がない。お金のなさではランカイのCGが、日本は大作でもまだこのレベルなのかと悲しくなってしまった。
アクションシーンはあまり上手くないワイヤーとスローモーションを多用しすぎていて、テンポに欠ける。ここは1番大変なところで、つまりマンガやアニメ的な演出はこういう非実在的な動きを物凄く説得的に描けるメリットがあるのだが、実写化した途端に嘘くささが漂うところで、ここを上手くやらないといけない。ワイヤーアクションは「跳躍」ではなく「浮遊」に見えてしまうし、スローモーションは強調が強すぎて全体の流れが切れる。
以上のように、メディア的特性に則ったリアリティが追求されればより完成度が上がったのではないかなと思う。
やはり実写化は、原作愛云々ではなく、映画の上手さで選んだ方がいいだろう。多くの「失敗した」実写化がそうであるように、和文英訳をするときにそのまま訳そうとしてしまうような収まりの悪さを感じてしまう。上手いひとは、その言語に適するように本文を巧妙に再構成する。原作はあくまで原案でよいと思っているので、上手くコンバートしてほしい。

メディア的特性というところでは、ひとつ謎だったのが場面転換のカットでワイプを異様に多用する点。最初は「編集の2日前にスターウォーズでも観たのか?」と思っていたが、あれは「昔話」のイメージを付加したいのだろうか。だとすれば映画メディアについて考えられているのだろうと思いつつ、「ワイプは古い映画的手法」という文法が、2019年の新作シリーズでどこまで通用するのかというところまで考えなくてはならないな、と思う。『スター・ウォーズ』は1977年だからな……。
ヨミ

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