ちゅう

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのちゅうのレビュー・感想・評価

4.5
言葉はどこまでも運ばれていく。
込められた気持ちは、いつまでも朽ちることなくそこにあり続ける。
時間を、空間を越えて届くその感情が胸の奥で永遠にゆらめいている。


兵器として育てられた孤児ヴァイオレット・エヴァーガーデンが手紙を代筆することによって人々の心に触れていく。
そのことによって彼女は、自分が抱いている感情がなんなのかを理解していく…


その言葉が表す感情が何なのか、自分が抱いている感情にどういう言葉を当てはめたらいいのだろうか。
それを知るために代筆業を選んだヴァイオレットの気持ちに僕は深く共感した。
なぜなら、僕がFilmarksに映画の感想を書こうと思ったのもほとんど同じような動機だったから。

ある不運があって、僕はこの10年間ほどその不運から生活を立て直すことで精一杯だった。
生きていくために必要なこと以外には目を向けないようになってしまっていた。
僕が興味を持っていた芸術や学問は現実との乖離が激しい場合があって、現実を生きる上で大きな重荷になることがある。
そういうものからくるジレンマに耐えられる状況ではなかったから、自然と興味が消えてしまっていた。
なんとか読書は続けていたけれど、生活に必要な実学系の本を読むことが多くなっていた。

そういう視野を狭めた状態でいると、自分が何を感じているのかということに鈍感になっていってしまう。
ある程度生活が落ち着いて活動する余裕も出てきて、人に会ったりしているとある種のもどかしさを感じるようになった。
以前はある程度つかめていたはずなのに、自分が何を考え何を感じているのか全然言葉にできなくなっていることに気づいた。

村上春樹はその著書である「羊をめぐる冒険」において、自分の中にある思念を放出できない状態を”羊抜け”と呼び、地獄と評した。
自分の置かれている状態もまさに”羊抜け”だなと思った。
自分の考えていること、感じていることに言葉をあてはめることができないということは、それらの思念を放出できないということだから。
それはとても苦しいことだった。
大学生のころまったく理解できなかった”羊抜け”を理解できるようにはなったけど、まったくありがたくなかった。
どうにかしたいと痛切に思った。


映画というものは人生を追体験させてくれる。
それを通じて湧き上がる感情はとても多い。
映画のことを書くのは、自分の中の感情を捉え言語化する行為であり”羊抜け”を解決できるのではないかと直観した。
だから僕は拙い言葉で映画の感想を書き始めた。

それはまさに、ヴァイオレットが人々の手紙を綴ることで人々の感情を追体験し言語化することと等しい行為だった。
僕は彼女が手紙を書くことに執着しているのをとてもリアルに感じることができた。


彼女は人々の感情を理解していくことで、自分の感情にも気づくようになり感情を表現できるようになった。
無表情だった彼女が笑顔を見せ、時に激しく涙する姿はそれだけで感動的で涙が溢れ出る。
純粋な心がどんな人にでも宿っていることを示唆してくれている。


あの美しい言葉が示す感情はどんなものなのだろう、あの胸に迫ってくる気持ちはなんて言ったらいいのだろう。
ヴァイオレットとともに、それが何なのか、それがどんなに大切なものなのかということに気づいていける。

そんな、とてもあたたかい気持ちになれる素敵な映画だった。
ぜひアニメシリーズから観てほしいと思った。
ちゅう

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