シャイニングを決してアベンジャーズ化してはならない。
過去に出てきた怖いトラウマたちをあんな風にして安っぽく使うのはどうかと。
スティーブンキングの原作版により近い形での制作となった本作。
ダニーはなぜシャイニングと呼ばれる能力を手にしたのか。その能力の正体やそれをつけ狙う悪党とのドタバタを描く。
キューブリック版シャイニングのカメラワークやBGMを踏襲したものにニヤニヤしてしまうが、それも全体を見ればほんの一瞬。
全体が、冗長で退屈なBGMと子供だましの特殊能力バトルで彩られており、シャイニングで掘り下げた創作者の狂気と深い人間考察には全く到達していなかった。
特にダニーと父親(ジャックニコルソン)が対峙する場面で、自身の葛藤を息子に説明するシーンは最悪だった。
これは本作監督のシャイニングの解釈であって、それをセリフにのっけるのは疑問。
悪い言い方をすれば、幼稚かつ稚拙。
良い見方をすれば、エックスメンやDCシリーズのようにわかりやすく大衆向けにマイルドに作られていた。
本作単体ならば、ある程度の評価を得られただろうが、どうしてもシャイニングと比べられてしまう。
シャイニングと比べたときに、キューブリックなら決して使わなかっただろう恐怖を煽る時のありがちなBGMと哲学を感じないカメラワークが気になってしまった。
シンメトリーはキューブリックっぽくはあったが、カメラを1点見つめる「キューブリックステア」、前方向を見せないことで鑑賞者の想像を掻き立てる「フォローショット」などは多く観られず、
シャイニング及びキューブリックファンからしたらがっかりの内容。
だが、完成し切っているシャイニングを前にして脚本は難航を極めただろう
その中で、ギリギリのところで崩壊せずに仕上げていたのは流石でした。
演出、カメラワーク、編集、BGM
映画を彩る大切な要素に哲学が欠けているのがもったいなく口惜しい。