えむえすぷらす

海獣の子供のえむえすぷらすのレビュー・感想・評価

海獣の子供(2018年製作の映画)
5.0
 思うところがあってもう一度見た上で内容書き換えてます。

 電子書籍1巻は期間限定で無料公開中(Kinoppyで確認)。
冒頭部は比較的原作に忠実。ただ海と空のような存在に関する設定は変更されている。

 アニメーションでの長回し、水描写など追求。原作で試みられていた表現手法のアニメーション版もある。
 海で起きている出来事の意味、それにどうが関わるのかはっきりしないまま事が起きる。そこから先は「2001年宇宙の旅」変形だと思う。50年前には試みられていた手法だし、去年なら「ペンギン・ハイウェイ」があった。わかりやすい物語としてなら「夜明け告げるルーのうた」もある。漫画で試みた事(ボールペンで描かれた緻密なモノクロ線画)を元にアニメーションとして表現した上で「2001年」のような破格な世界の接点を描いている。

エンドロールの後で長めのエピローグがあるので席を立つのは厳禁です。

追記: 原作5巻も読みました。琉花の視点、体験は原作だと根幹となるメインエピソードですが、one of them、エピソードの一つに過ぎない。世界でいろんな人が海に関わる不思議な体験をしていて短いエピソードとして語られる。それが補助線となっており何かしら読者に掴ませる。
映画は琉花と直接関わらない登場人物のエピソードが語られない。このために琉花の視点、体験が原作よりも特別な意味を持っている。
 原作だと琉花の目撃した出来事はもっと頻繁に起きているかもしれない事を示唆する登場人物までいる。琉花の体験は琉花にとって特別なものだけど、彼女以外の体験者が過去にもいただろうし未来においてもそうなのだろうと思わされる。だからこそ琉花はその事を語る必要はない。そう考える事も出来るだろう。
 原作を読む事で他の人々が過去から現在までの間に体験した出来事が語られ、そこから何が起きているのか世界観が浮かび上がる。原作にしろ映画にしろ言葉は誰かが表現するために選んだものに過ぎない。それは観客、読者において適当な表現とは限らない。宇宙(隕石)と海、生命が混ざり合い、再び宇宙に戻っていくものもある中で琉花やその他の体験者、観測者たちは何を思ったのか。そうやって見ていく事に意味がある作品なのだと思う。

 この原作、ある出来事について多様な文化、時代の人々の目撃談があり、それがその文化の言葉で定義付けられるために同じ事を指していても全く印象の違う体験、目撃になっている。民俗学的なレイヤーがあっていろんな名詞が事象に名付けられていて、しかも一番核心部にいた人は語らない事を選んでいるために明確な定義、情報の体系化が出来ないように仕組まれている。その作品をその核心部を見た琉花の視点で見せてきて他の目撃、体験をほとんどカットした事で民俗学的レイヤーの名詞が補助線の役割を担いきれてない。この事が世界観の掴みにくさになっている。
もっとも原作通り他の体験、目撃談を入れたらかなり尺が延びると思うので非現実的ではある。

 なので世界の理の一端を掴んで深めたい人は原作を読みましょう。