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マチネの終わりにのkamakurahのレビュー・感想・評価

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
3.0
 平野啓一郎のデビューは鮮烈だった。漢文体の神学をめぐる作品は『新潮』掲載時から火がついて、あっという間に芥川賞。当時の最年少受賞だった。京大から恐るべき才能、忽然と登場と作品以上に作家本人がクローズアップされ、誰が言ったのかな、三島由紀夫の再来と評されていた。読書オタクとしては当然いち早く入手読了して、どんな読書経験を積んで同作に繋がったのだろうと興味深かった。勿論、感心、嘆息した。けれどもその後、追いかけ続けることはなかった。何故だったのだろう。芥川賞では、直前の花村萬月の個人的衝撃がまだ後を引いていたのかも知れないし、そのしばらく前の受賞者だった保坂和志や奥泉光を大切な存在として受け止め始めていたせいなのかもしれない。
 そうこうしているうちに平野啓一郎はいつしか芥川賞選考委員となり、政治的発言も目にとまるようになっていた。『マチネの終わりに』がちょっとしたブームになって、間を置くことなく映画化までされた。それでもなお、気にはなりつつも、作品はなんとなく遠ざけ続けていた。このあたりの気分は、自分ごとなのに、きちんと説明ができない。相性というものは、そういうものだろう。振り返ると以上の経緯はすべてコロナ禍前のことである。
 平野啓一郎とのそうした位置関係のなか昨年度の映画賞レースで『ある男』が話題になり、結果的には日本アカデミー賞をほぼ独占し、そのレビュー執筆のために、約20年以上ぶりに原作として平野啓一郎を読んだ。映画化ずれしてしまった吉田修一(失敬)化したのかな、と思いきや、内向度深い作品で感応するところがあり、映画とともに気になっていた本作購入し通読した。前置き長し(笑)、諒とされたい。
 平野啓一郎は『マチネの終わりに』で、芸術全般にかかる感性そのものについて、ずいぶん複雑なこと、個人的には己が志向、うーむ、こっちの嗜好かな、すなわち好きな視座を作品化しているんだなと、読み始めてすぐに、そうした自分自身の内奥に近しい思いをもった。それは『ある男』で感じた内向性に通じる手触りだった。リルケであったり、ベニスに死すであったり、また、ベートーヴェンの手紙、ゲーテとトーマス・マン、バッハ、カザルス、武満徹等々、真正読書人にとっては嬉しい小道具満載で、芸術論、文明論として考えさせられることが様々あった。ある必要があって新書で平野啓一郎の「分人」論なるものを少し読み齧ったことだけはあり、ふとその時の印象も重なって守備範囲の広さがよく反映した仕立てだなと、振り幅大きく刺激されたことだった。物語としては歩調を急がせるものがあったが、興味深い品揃えゆえにあえてゆっくりページを繰った。加えて物語の展開には、『ある男』もそうだったが東日本大震災も絡んでいる。話題になっていたがスルーしたままだった映画化作品を読後観ることにしようと心準備しつつ、これは映像化は難しいだろうなと『ある男』の原作と映画との距離感を思いやった。
 毎日の通勤車中で同作を読み進めるうちサントラとは別に、映画化以前に福田進一がコラボというのかタイアップアルバムを出していることを知った。途中から、内向世界広がる最中に作品世界を具現化させる楽曲に触れる掟破り承知で、そのアルバムを聴きながらの読書となった。
 しかしながら、である。
 『ある男』に続く平野啓一郎ワールド堪能時間を楽しみながらも、縦軸となる主人公ふたりの恋模様が、個人的にはやや底浅く、芸術論、文明論の多彩さに釣り合わぬ印象が残念でならなかった。深淵な恋愛などというものがあるのかどうかは明言できないが、せっかく書き込んだ浩瀚な言語世界に見合った、深く、先行き容易には見通せない男女関係であってもよかったように、ないものねだりの欲張り感を消し切れなかった。物語を動かす蒔野のマネジャーの振る舞い、洋子の婚約者との破綻、ともにあまりにステレオタイプでしかなく興醒めと評せざるを得ないのである。これは新聞小説としての限界なのだろうか。誠に残念。
 読了後、福山雅治、石田ゆり子の映画化作品を配信鑑賞した。予想通り、芸術論パート大幅割愛、東日本大震災にも触れず、ひたすらの通俗恋愛映画。まぁ、映画は映画、観念的な要素や大震災に触れず映像化すればやむを得ないことだろう。そのあたり『ある男』で石川慶監督は色合いとして原作の基調反映感を巧みに醸し出していた。これも、やはり無いものねだりになるが、もう一歩でも二歩でも踏み込み、原作の観念性を映像化して欲しかった。恋愛の展開がご都合主義感否めない分、そこを前面に出して脚色すれば原作の道具揃えとは縁遠くなるしかない。主演2人への肩入れなければ作品の妙味は味わえない仕上がりだった。個人的には配信鑑賞に助けられた。こちらも、やはり、残念、かな。
 ひどくくどくどしいレビューとなった。もっと素朴、虚心坦懐に、書籍、映画に向き合うが本来であること十分承知。ごめんなさい。
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