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太陽は光り輝くのzhenli13のレビュー・感想・評価

太陽は光り輝く(1953年製作の映画)
4.5
蒸気船の往来が何度も出てきて波を煌めかせて滑るようすが美しい。
『プリースト判事』から20年後に撮られて時代設定も20年経っているので、序盤での在郷軍人会のロートル感、南軍しぐさがさらに強固なものになった感がある。またチャールズ・ウィニンガーのプリースト判事はその登場からやや偏屈老人ぽさがあり、温厚で愛嬌のある役だったウィル・ロジャースのプリースト判事とどうしても比べてしまう。
しかし物語が進行するにつれ、かつての南軍仲間には年月も利害も超えた絆や敬意があることや、ウィニンガーのプリースト判事は人種や職業の貴賤も無く救済に注力する人物であることが示され、序盤の印象を変えてゆく。「心臓に燃料を入れないと」とたびたび繰り返される台詞も愛おしく感じられるようになる。彼がいつも白い三揃いを着ていることも一役買っているように思う。

本作は1953年公開なのでローザ・パークスの事件より前だけど、当時公民権運動の高まりがすでにあっただろう。黒人の少年や娼館で働いていた女性のために身体を張るという脚本は、おそらく1934年公開の『プリースト判事』で考えられるものではなかったのではと思った。台詞としても「人種や宗教は関係ない」という言葉が出てきて、ある意味時代の流れを感じる。

『プリースト判事』のクライマックスはヘンリー・B・ウォルソールの長台詞に譲られたが、本作ではチャールズ・ウィニンガーが率いる葬列シーンで表される。この長い長い葬列には、台詞も音楽も無い。『プリースト判事』同様に『太陽は光り輝く』も音の映画であり音楽が溢れているが、この「音」使いは確信犯的に絶大な効果がある。この葬列にジョン・M・スタール『模倣の人生』ダグラス・サーク『哀しみは空の彼方に』を思い出した。または、ヨハネ福音書をひいて葬儀で説話を行ったウィニンガーが、ぱんと聖書を閉じる瞬間。

ラストの凱旋パレードを敬礼しながら見送るウィニンガーは晴れやかというよりも哀切に満ちていて、馴染みの黒人たちが最後に静かに歌う「ケンタッキーの我が家」と共に彼は家の扉のむこうへ入ってゆき、灯りがふっと落ちる。多くの人が指摘するように『捜索者』を思い出さずにいられず震えた。家の中へ入るにもかかわらず去っていくとしか思えない。成し遂げた者は去り行く者でもある。
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