あんがすざろっく

この世界の(さらにいくつもの)片隅にのあんがすざろっくのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

「窓際のトットちゃん」を観たら、本作を思い出し。
オリジナルは既にレビューをあげているのですが、こちらのバージョンはまだポストしていなかったので、久しぶりに鑑賞。

年明けすぐに見ていたのですが、レビューを纏められなくて、時間がかかってしまいました。

戦時中の広島、呉を舞台に、18歳で嫁いたすずの物語。


オリジナルのレビューでも書きましたが、戦時中の話とは言え、終始重い空気はなく(後半は重くなってきますが)、人々が営む日常、どこかぼんやりしているすずのキャラクターが愛おしくなる作品です。
クラウドファウンディングが大成功を収めた良い例でもあり、多くの人々の思いが結実した作品でもあります。

オリジナルを鑑賞した後にすぐにノベライズを購入して読み進めましたが、リンのパートがオリジナルでは大幅に削られており、本作ではノベライズを読みながら想像していた絵が、しっかりと描かれていました。


ノベライズを読んでいても、広島弁が何だかいいリズムだったし、映画だと台詞一つ一つが耳に心地いい。


周作は、すずを見つけるまでに色々と手を尽くしたのでしょう。
でも、本当に見つけて良かった。
小さな頃の思い出を、忘れずにいて良かった。
「昔もここにホクロがあった…」
「すずさんは、こまいの(小さいな)」と周作に頭を撫でられたすず。

周作がすずの頬を撫でる仕草、頭を撫でる仕草に、すずへの愛情が溢れていて、とても良かったですね。

自暴自棄になったすずに、アンタと過ごした一年半、ワシは本当に幸せじゃった‼️と語る周作。
本当に、周作はすずに救われていたのだと思います。

対して、周作が軍からの召集がかかり、家を空けなければならないと聞かされたすずは、
「家を守れるか?」と心配する周作に「無理です」とたじろいでしまいます。
周作がいない月日を乗り切れる自信がなくなったんですね。
それでもすずは、リンから(正確にはテルから)貰った口紅を引き、気丈に周作を送り出します。

本作における、重要なポジションを受け持ったのが、すずが遊郭で出会ったリン。
すずとリンの、深い繋がりが描かれます。

すずの幼少の頃のお婆ちゃん家での思い出。
オリジナルバージョンだと、ここで登場する女の子は座敷わらしだったのではないか、すずだけに見えていたのではないか、と思えました。

しかし、本作では、実はそうではなかった、ということが描かれているんですね。
アンタのことは秘密じゃなくしてしもうた。
でもこれはこれで、贅沢なことじゃと思うよ。

今回短いながらも登場した、リンと同じ遊郭で働くテル。
すずと同じように、ほんわかのんびりした子ですが、だからなのか、すずはすぐに打ち解け、小窓を挟んで楽しいひと時を過ごします。
恐らくそれが、テルが笑った最後の時。

もしかしたらすずは、またいずれテルと話せるかも、なんて期待をしていたかも知れません。
それが叶わない現実。
きっとすずとそれ程歳は離れていなかっただろうけど、こんなにも住む世界も、降りかかる運命も違っているとは。

何も知らない自分のまま死にたかったよ、と呟く程、すずは様々な現実と向き合うことになります。


「呆れるくらいに普通じゃの」とすずをからかった、幼馴染の哲。
きっとすずへの想いは、ずっとあったのだと思うし、恐らく、すずも哲を好きだったのだと思います。
でも、いくら見知らぬ土地に勝手に連れてこられたとは言え、この時にはすずは本当に周作を愛していたし、だからこそ、すずは周作の余計な気遣いが許せなかったんですね。
このすずと哲の語らいは、やっぱり大好きで、重要なシーンです。


他にも印象的なシーンが沢山ありますが、例えば。


すずのお見合いが決まると、お婆ちゃんから、祝言の夜の決まりごとを教えられるすず。

ええか、婿さんに「傘を持ってきたか?」と聞かれたら、「新なの傘を一本」と答えるんじゃ。

意味が分からず、「何で?」とこたえるすずに「何でもじゃ」とお婆ちゃんは有無を言わさずにピシャリ。

ここで初夜の交わりのことを指しているのがぼんやりと伝わってくるのですが、昔の方はこんな隠喩を使っていたんでしょうか。

「新なの傘」とは清い体で来た、という意味のようで、
「傘を差してもいいか?」という問いかけは、文字通り夫婦の交わりの始まりを意味していたらしいんですね。

お婆ちゃんの言った通り、周作は祝言の夜にすずに傘の件を尋ねます。
一瞬身を固くするすず。
何が起きるのか…。

周作はその傘(実際傘を持ってきているところがすずらしい)を借りて、軒下の干し柿を伝い取り、「腹が減ったな」とすずと食べるんです☺️
思ってたんと違う。

でもこれは周作がすずの緊張を解そうとしたんじゃないかな、というのと、周作自身も緊張していたんじゃないかな、と。

ただ周作は、すずが初めての女性ではないことが後々分かり、やはりこれはすずへの思いやりだったんですね。

で、実はこの柿にもちゃんと意味があったようなんです。

戦時中、初夜を迎える夫婦の間で
「柿の実をもいでもいいか?」とお婿さんがお嫁さんに尋ねることがあったようなんですが、実はこれも初夜の交わりの隠語だったんだそうです。
周作は、そこまで知っていたのだとしたら、なかなか頭の回転がいいですよね。
本当に細かいところまで、歴史考証されていたんだな。



一番好きだったシーンは、選び辛いのですが、強いてあげれば、すずと義理の姉、径子のやり取り。
特に、生きる意味を失いかけたすずが、実家に帰ると決心した出発の日。
思いがけない径子からの言葉。
この一言で、すずは北條家に残ることを選び、径子に泣きつきます。

このシーンが、僕は一番好きだったかな。

一番分かり合えなかったのじゃないだろうかと思えた、二人のわだかまりが溶けた瞬間。

こんな義理のお姉さん、ちょっと怖いですけどね。


話が脱線しますけど、僕の母は長崎生まれで、結婚して初めて東京に出てきて、最初の頃は分からないことだらけだったそうで。
そんな中怖かったのが、義理のお姉さん。
僕の叔母さんですね。
確かにちょっとツンとしてて、あまり笑わない印象。
いつも着物をピシッと着込んでいたので、余計に怖かったんでしょう。
だからなかなか近寄りがたかったようなんですけど、しばらくすると、そのお姉さんに買物だとか色々な用事で、外に引っ張り出されるようになったんだそうです。

義理の父母(僕の爺ちゃん婆ちゃんにあたりますね)と一緒に暮らし、慣れない東京生活、知り合いもいないし、友達もいない。父も仕事でなかなか家にいない。出かけるにも土地勘がない。
そんな息苦しさをお姉さんは感じ取ったのか、うちの母を連れだって出かけるようになったらしいです。
最初は怖かったけど、あの頃は本当にお姉さんに助けられた、と母がよく言っているのを思い出しました。



話を作品に戻して。
義姉の径子も、悪い人ではなくて、はっきりした性格なだけ。
全体を通して見て、僕は径子さんが魅力的に思えてきました。


義父の円太郎も、いい味を出してましたね。
飄々としているようで、物事をプラスに見ることのできる、いいお義父さんです。

すずの妹スミも、すずと同じように、ポ〜っとしているようで、結婚や恋愛に淡い憧れを抱く女性として描かれていました。
彼女の行く末は描かれていませんが、その心に影を落とすことが匂わされて、苦い後味が残ります。

些細なシーンなのですが、終戦後にすずが再会したご近所の知多さんは、ずっと日傘を差して歩いていました。
広島の市内から帰ってきた知多さんが、陽射しが眩しくてねぇ、と呟いていた意味が、ようやく分かりました。



オープニングしばらくしてから流れる
「悲しくてやりきれない」がとても良い。
小さい頃からよく聞いていた曲ですが、メロディとは相反する歌詞が何とも不思議な味わいのナンバーです。
僕はもともとあまり歌詞を追いかけて音楽を聞く人間ではないので、今回改めて調べてみると、オリジナルは1968年にフォーククルセイダーズが発表しています。
作詞を担当したサトウハチローさんの、原爆での体験を歌っているとのこと。
柔らかくて優しいメロディと、コトリンゴさんの歌声と、「悲しくて…」と決して明るい歌詞ではない、その両極端を併せ持つ曲調が、作品の雰囲気と見事にマッチしていました。

そのコトリンゴさんが担当された劇伴も、また素晴らしいのです。



あれ、と思ったのは、終戦後、まだ軍の仕事が残っている周作を見送りに、すずが連れだって歩く場面。
ここでいい、早よ行けぇ、と周作がすずを促したのは、リンのいたはずの遊郭への道。
遊郭も焼け落ちて、跡形もなかったのだけど、周作は、すずがリンと知り合いだったこと、彼女の安否を気にしていることを知っていたのでしょうか。

それから、冒頭の人さらいですね。
これが周作とすずの出会いとなる訳ですけど、これだけどうしても、考察を読んでもしっくりと来ないんです。

この2点だけ、どうしても染み込んで来なくて、後何度か見たら、気持ちの中にストンと落ちてくるんでしょうか。


今回見返してから、原作漫画も手に入れたので、楽しみに読んでいきます。



「ありがとう
この世界の片隅で
ウチを見つけてくれて」

作品のラストに、クラウドファウンディングで支援した方々のクレジットが流れ、本当に沢山の人達に支えられ、沢山の人達に見てもらうべく誕生した作品なんだな、としみじみ思えた作品です。
最後の最後、「ほいじゃねぇ」と手を振ってくれていたのは、すずさんの右手かな。


戦争は、明らかに人災です。
人が止めることも出来るはずなのに、どうして起きてしまうんですかね。
それでも、本作に登場する人々は、生きる力に溢れています。
戦争が進むに連れて、疲弊していく姿も描かれますが、現代の僕達と同じように、泣き、笑い、ご飯の献立に頭を悩ませ、食卓に漂う匂いに頬を緩ませる人々。
周作とすずが連れ帰る小さな女の子を、シラミだなんだと大騒ぎしながらも、あの一家はごく普通に受け入れるのでしょうね。
まだ着れるかね、と娘の晴美の洋服を引っ張り出す径子も、微笑ましくなります。

日常の何気ない営みが、愛おしくて堪らなくなる、そんな作品です。



2024年、年が明けてすぐに、大きな震災が北陸を襲いました。
天災は、時と場所を選ばないのですね。
人の力ではどうにも止めることが出来ないものなんだな、と痛感しました。
寒い日が続く中、家の中でこたつに入りながら家族団欒、という光景が、当たり前にならない人達がいるんだよね、それを改めて気付かされました。
布団に入るといつも思うんですけど、こうやって、足を伸ばして寝れるのって、本当に有り難くて、贅沢なことだな、と思います。

ニュースで見るだけでも、いくら体調に気をつけても、自分だけでは到底防ぎきれない状況があるんですね。
言葉にしか出来ないのですけど、被災者の皆様、体調と併せて、心と気持ちも壊れないことを、願うばかりです。
あんがすざろっく

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