古川智教

ジャングル・クルーズの古川智教のネタバレレビュー・内容・結末

ジャングル・クルーズ(2020年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

涙とは悲しい時にも、嬉しい時にも流れる両義的なものである。そのため、古来より涙は象徴的なものとして扱われてきた。それはインディ・ジョーンズばりのアクション・アドベンチャーにおいても例外ではない。「ジャングル・クルーズ」は、ジャングル=両義性をクルーズして、何を見出せるかの冒険である。何が見出されたのか。それは両義性の振幅を広げ、振り子運動によって揺さぶりをかけることが生きることに繋がる、そして、大切なひとりを助ける/救うことが、みんなを助ける/救うことに繋がるという教訓である。ひとりとみんなの間でどれだけ大きく揺さぶられるか。

船長であるドウェイン・ジョンソン演じるフランクこそ最も両義性を体現する者である。剣で刺し貫かれても死なない不老不死の身体になりながら、安らかな死を求めて、あらゆる病を癒す不老不死の花を求める者。ただし、そのフランクも物語の冒頭では不老不死の花探しを諦めており、両義性に挟まれていることに疲れ果てている。呪いによってアマゾン川から離れることができずに、ジャングル=両義性に挟まれた川を観光客を乗せてクルージングしている。フランクの駄洒落はフランクに残された両義性への最後の抵抗なのだ。駄洒落は同音異義語による意味の重なり合いと意味からの逸脱によって両義性に揺さぶりをかけることができる。また、本物のジャングルの中にいるのに観光客に偽物のカバや滝を見せるのも、本物と偽物の両義性を示すことで揺さぶろうとしているのである。エミリー・ブラントが演じるリリーを騙したり、信頼を得ようとしたりとその振れ幅が徐々に大きくなっていくのも同様である。だから、アギーレの襲撃を受けた原住民の村でのフランクとリリーのロープを使った振り子運動は両義性の間での揺れを象徴しているのだ。そして、その両義性からはそう易々と抜け出せないことがフランクの足が着地先の台を掴みきれずに元の場所まで戻されていくことから分かるだろう。だいいちフランクはジャングル=両義性に挟まれた川から呪いによって離れることができない。映画の至るところにそうした両義性によるダブルバインドがちりばめられている。例えば、フランクに揶揄されるリリーのパンツは二股=両義性に分かれているものであるし、女性差別的な発言を言われ続けるリリーに対して、弟のマクレガーはゲイであることを一切言葉にしない、対照的な状況に姉弟は挟まれているし、酒場でのフランクのペットの虎との格闘騒ぎではフランクと虎が毒蜘蛛と蠍に挟まれているシーンなどを参照しよう。

(フランクのライバルであるアギーレもまた両義性(病に伏せった娘への思いと、不老不死の花を手に入れるための原住民の虐殺)に挟まれた人物であるが、何故失敗に終わるのかと言えば、ひとり(娘)に囚われているから、両義性の振幅を広げられずに狭めてしまったからに他ならない。フランクとリリーのロープは振り子運動で大きく揺れ動くのに対して、アギーレに取り付いた蛇たちは直進しかしない点に着目しよう)

両義性のダブルバインドから抜け出せる打開策はあるのか。きっかけとなるのは常に上(梯子の上や空中、ロープの上や屋根の上)を移動して大立ち回りを演じていたリリーが、泳げないにもかかわらず、フランクと一緒に川に入って水中の遺跡のレバーを引くシーンからである。可能なことから、不可能なことへと大きく振り切ろうとすること。そして、遺跡の中で不老不死の花を咲かせるために、矢尻を割って中から枯れた木を蘇らせる光る石を取り出すシーンで、両義性のダブルバインドを打開するための決定的なことが言われる。それは「心を癒すためには、まずは心が傷つく/壊れる必要がある」という矢尻に刻まれていた言葉であり、その言葉にしたがうことで矢尻を割って光る石を取り出せたことである。これこそ両義性を逆手に取って、転覆させるための最たる振り子運動、揺さぶりであろう。あらゆる病を癒す不老不死の花を手に入れたリリーが、自らを犠牲にして追手のアギーレと一緒に木に封じられたフランクを一輪しか残っていない不老不死の花を使って蘇らせる行為も、みんな(あらゆる人を助けたい/救いたい)からひとり(大切な人を助けたい/救いたい)への振り子運動、揺さぶりなのだ。そして、ひとりを助けた/救ったことで不老不死の花は失われたかに見えたが、ひとりを助けた/救ったことで、みんなを助ける/救うことができる不老不死の花を再び手に入れることが可能となる。これこそが両義性の本来の力であり、こうした奇跡が起こるからこそ諦めずに揺さぶりをかけ続けることが必要なのだ。

映画の最後、不老不死の両義性から解放されたフランクとリリーがロンドンで自動車を運転するとき、はじめて自動車を運転するフランクはジグザグにハンドルを切って運転していく。振り子運動、揺さぶりは冒険が終わった後もずっと続いていくのだ。我々が置かれているコロナ禍においても、こうした教訓(みんなを助ける/救うことから、ひとりを助ける/救うことへ、ひとりを助ける/救うことから、みんなを助ける/救うことへ)こそが必要ではないだろうか。
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