垂直落下式サミング

平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVERの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

4.8
平成最後の全員集合のお得感に惹かれて。自己のノスタルジーを満足させるためだけの我が儘鑑賞スタイル。だけど、鑑賞後は思っていたものとは違う感情で満たされた。
みるひとによっては、どうしようもないダメ映画だと思う。もしかしたら、その感覚が正しいのかもしれない。
正直、全員集合までの流れはすげーかったるいし、アクションも暗いし鈍重だ。例によって、僕はビルドとジオウをみていないし理解することは諦めてるから、お馴染まないキャラクターがすったもんだしてて、前半は超つまんなかった。
僕の目をひいたのはパラレルワールド設定の面白さ。主人公たちが「仮面ライダーというテレビ番組が放送されている世界」に来てしまうところから物語がはじまるという前提が、かなり挑戦的。
けっこうメタフィクションというか、テレビで仮面ライダーをみている我々と、虚構の物語のなかから飛び出してきたライダーという関係を扱っている。
この反則的な設定をもちいておいて、平成仮面ライダーシリーズは世界にどのような影響を与えたのか?または現在進行形で与えているのか?っていう問いを俎上に載せて解体してみせた。
平成ライダーの一番手だから、タイムスリップしてきた子供の口からクウガという名前がピックアップされる。うれしい。クウガの活躍がみられる。実際ある。僕のいちばん好きな場面は、そこになるハズだったのに、それだけじゃ終わらなかった。
ずっと鬱積が続いていくなか、満を持して電王が出てきた瞬間、低空飛行だった映画のテンションが一気に極限までぶち上がる。お帰りなさい佐藤健。キャリアを重ねても、こういう役をやってくれるの嬉しいな。信じれば現実になる。彼がそう身をもって示してくれたら、あとは御都合クライマックスタイム。
そっから、例によって奇跡がおこり、みんなの心のライダーが助けにくる展開になるんだけど、高校生くらいのお兄ちゃんのところにはWが来るし、アラサーのお父さんには、我らがクウガが助けに来てくれる。それはいいんすよ、そういうもんだから。
僕がいいなって感じたのは、小学校低学年くらいの男の子たちが、「ゴースト助けて!」「エグゼイド来て!」って言うんです。はっとした。この子たちにとっての仮面ライダーは、ゴーストとエグゼイドなんだ!
当たり前だろって感じなんだけど、僕は新しめの奴らのことは見た目しか知らないし、なんかコイツはあんま微妙だな、きっと人気ねんだろうな、とか思ってたやつらも多くて、ゴーストとエグゼイドはその代表なんだけども、名前を呼ばれて子供の叫びに駆け付ける様子が、本当に素晴らしくて…。
現在進行中のやつらだって同じで、僕を素通りしていった感動は、子供たちにはしっかりと届いているんだなって、すごく安心したんですよ。これは微妙でカッコ悪いとか、これは人気ないだろうとか、そういう下世話な考えをしてた自分を恥じました。
ここの場面は本当に神々しい。助けに来たライダーをみた男の子たちの「あっ…」っていう声を、しっかり拾ってるのがヤバイんだよな。信じがたいものを目の当たりにした時にこぼれてしまった声。「自分の憧れのヤツがそこにいる!」ヒーロー番組とはそういう体験を与えるためのもので、それこそが子供たちにとってなにものにも替えがたい宝物なのではないかと、有無を言わさぬパワーに満ちたシーンとなっていました。
この世にヒーローはいると強く信じて、そう思い続けることは正しいんだって、真摯に訴えかけながら、仮面ライダーの存在意義に答え出そうとしてるのが、めっちゃよくて…。
いつかライダーが何とかしてくれるって信じていた子供は、助けられて、勇気をもらって、その体験から自分で問題を解決していく力を獲得していくのだ。ヒーローを求め追いかけることには、ちゃんと意味があるんだ。僕はこういうおはなしは、泣くんですよ。
ライダーは子供だましの嘘っこだけど、確かに現実を救っている。だから虚構じゃない!俺たちは“いま”ここにいるだろって!そういうことなんよ。

そんでさー。あの男の子にとってはさ、顔も知らないお兄ちゃんとの唯一の繋がりが、仮面ライダーだったわけじゃないですか。でも、これからは兄弟でいっしょに、毎年新しいライダーに一人づつ出会っていくんですよ。あの最後に横一列に並んだやつらに、これから毎年ひとりづつ新鮮な気持ちで出会うんですよ。
ちゃんとふたりで早起きして、たまに少年野球でみれなくても、そんなのも込みで成長していって、もしかしたらいつか(響あたりで)卒業するかもしんないんだけど、男の子はそうやって大人になっていくんですよ。これもうさ。考えただけで泣くもん。弟ほしかったな。ぜったい可愛がったのに。