2019年 英仏米合作
フィンセントファンゴホ 生前はあまり評価されず転居を繰り返しました 独学の画家であった為その土地ごとに色々な人からの影響を受けてその作風はその土地ごとに大きく異なります 一年半唯一の理解者である弟のテオと暮らしたパリで吸収したもの(日本の浮世絵とも出会ってます)が南フランスのアルルそしてサンレミで大きく花開きます 描く対象についての自分の感情を抑えることが出来ないことに気付いた彼はそれについて写実的ではなく感情として表すようになりました 印象を表した“印象主義“ではなく その感情を思うままに表現しようとして 内面的な感情を表現した“表現主義“が生まれました
この作品はアルルから有名な“耳切り事件“を経てサンレミに移りオーヴェルシュルオワーズで亡くなるまでを描きます
南仏の太陽の元で作品は益々輝きを増し精神は益々病んで行きます
天才だから狂気を孕むのか狂気を孕むから天才になれるのか
“天使は悲しむ者の近くにいる
そして病は時に人を癒やす
病気の状態が絵を生むんだ
健康を取り戻すのが嫌になる
狂気は最高の芸術だ“
彼の短い人生の最後はあまりにも悲しい