桃子

永遠の門 ゴッホの見た未来の桃子のレビュー・感想・評価

4.4
風邪がまだ完治していない、少しもやもやした頭で鑑賞したのだが、それがかえって良かった感じがする。臨場感が半端なかった。
ジュリアン・シュナーベル監督自身が画家であるということが興味深い。画家なら他の画家の気持ちがある程度理解できるだろうし、絵を描くということはどういうことなのか、少なくとも絵の描けない私よりは自覚しているだろうから。
伝記映画ではあるけれど、監督によると脚色もあるし付け加えたこともあるという。一番驚いたのは、ゴッホの最期についての部分だった。一般に自殺と言われているが、殺されたという説もあるとのこと。誰も現場にいなかったのだから、誰にも真実はわからない。こういう解釈もあるのかと、妙に納得してしまった。
シュナーベル監督の作品は以前に「潜水服は蝶の夢を見る」を見たことがある。この映画で主演していたマチュー・アマルリックが、こちらの映画ではポール・ガシェ医師を演じている。やはりこういうのは監督とのご縁なのだろう。
精神病静養所での神父との会話が印象に残っている。ゴッホのことを何も知らず、ただの狂人と思っている神父。ゴッホの絵を「不愉快な絵だ。私は大嫌いだ」と面と向かって言う。そんな神父に対してゴッホは、自分の父は牧師であり、かつては自分も聖職者になろうと思ったことがあると言い、神父がよく覚えていないような聖書の逸話を話したりする。神父は絵が売れたのかどうか訊くが、ゴッホは「イエス・キリストも生きている時は無名だった。死んでから有名になった」と応える。失礼きわまりない神父が黙ってしまう姿はなかなかスカっとするシーンだった。
そう言えば、ゴッホを演じているウィレム・デフォーは、「最後の誘惑」という映画でイエス・キリストを演じている。ここでも何かの縁を感じてしまった。
全体的にカメラワークが不安定で、揺らぎのようなものがゴッホの心情を表している。ゴッホの視線になると画面の下方の部分がぼやけていて、はっきりと見えない。台詞は少ないが、全く関係ないと思われる人物が延々としゃべっていたりする。今はやりの言葉で言うと「エモい」演出ということだろうか。
フランスのアルル地方の自然が美しい。画材を背負って、自然の中を歩き回るゴッホの姿が目に焼き付く。麦わら帽子、青いシャツ、パイプ… 本当に言葉はいらないのだと思った。
先日、上野の美術館で実物を見た「糸杉」も登場する。あの絵を見て涙が出てきた理由もわかった気がした。
私はアメリカに留学していた時、「アルルにおけるゴッホとゴーギャンの関係について」というリサーチペーパーを書いたことがある。書くために必死で図書館に通い、色々な本から参照していたことが、この映画にすべて収まっているような気がして、胸がいっぱいになった。
桃子

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