イホウジン

37セカンズのイホウジンのレビュー・感想・評価

37セカンズ(2019年製作の映画)
4.2
ただの人間たちがただ成長する。当たり前だけどそれが当たり前じゃない社会の現実。

障害者に関する昨今の話題はめっきり「生産性」に関する議論だが、今作ではその議論自体の危うさを暗に示しているようだった。当然生産性が“ない”という意見については社会として全否定されるべきだが、果たしてこの意見の対極は生産性が“ある”ということなのだろうか?そもそも人間に「生産性」は存在するのか?
この映画は改めて振り返ると、テレビでも映画でもよくありそうな人間ドラマである。未熟な人間が未知の社会に触れることで人格的な成長を達成し、そのエネルギーは機能不全に陥ってしまった家族にまで伝播する。ここだけ考えれば本当に普通の物語だ。ただ一点際立つのが、主人公が障害者であるという設定だけ。
しかし、こんなに平凡なストーリーに観客が“新しさ”を感じてしまうのはどうしてだろうか?ここには社会に根付いた障害者への無意識下のバイアスがあるように思える。今作の母親における「健常者が障害者を支える」という発想は社会において理想的なものとされているし、終盤に出てくる「障害者への漠然とした恐れ」も少なからず社会に存在するものであろう。ところが今作ではこのコモンセンスに不和が持ち込まれる。それは障害者が主人公であるからだ。
今作では主人公は1人の障害者として、というよりは、1人の人間として意識する中での行動が中心となる。最初の方ではあくまで障害者を“演じて”いたが、自分の意思で俗世に触れる中で徐々に健常者と区別されない「1人の人間」としてのアイデンティティを確立し始める。そしてさらに「人間」となった主人公は周囲の人たちをも変えていく。そして「健常者が障害者を支える」状態から「人が人を支え合う」状態に移行するのである。両者の互いの弱い面を受け入れ真の意味で“共に生きる”ための第一歩を踏み出すことは、いま社会が多様性を尊重するに最も求められていることなのかもしれない。
映像もとても美しかった。アメリカで映画を学んだ監督だけあって、東京の描かれ方が外国人が撮るそれそのものであった。独特な余白や写真のような映像も良い。

ファンタジックな展開自体は悪くないが、主人公とその母以外の人たちの言及がもう少し欲しかった。各々のキャラクターは際立っていたが、それらが如何にして生成されたものなのかがおしなべて不明瞭であった。
終盤に向けた展開についても家族なのか恋愛なのか友情なのか軸足が定まらない感覚があった。
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