戦争で夫に先立たれた未亡人のフローレンス。夢のひとつ書店を営むことを決意しますが、待っていたのは苦難の連続。あまりにも同じ人とは思えない町の住人の嫌がらせを見せられ、自然と主人公を応援する自分がいました。
かく言う自分も本が大好きで、書店ではありませんが本に携わる仕事をしています。だからこそフローレンスが本に抱く想いに共感し、また忘れていた本の持つ本質というところを再認識させられます。
「ロリータ」という本を仕掛けて売り出す時は、「え!?250冊も頼むの!?大丈夫か?」と思ったのは私だけではないはず。
本の匂いを嗅いだり、本の質感を手で感じたりと、今シェアが増えている電子書籍では出せない「味」というものがあります。本に対する愛情というのをフローレンス演じるエミリー・モーティマーは上手く表現していたと思うし、監督/脚本のイザベル・コイシェも踏襲していたなと感じました。
一方で、本作は本と触れ合い、町の人と交流を深めていくという類のハートウォーミング映画とは一線を画します。
何よりもフローレンスの経営を邪魔する町の権力者であるガマート夫人がとてつもなく嫌らしい!本当になんでそこまでフローレンスの邪魔をし、傷つけるのか、理解に苦しむほどです。
まさにこれは「村八分」状態。ガマート夫人に限らず、町の住民たちが妬み、陰口を叩き、そしてガマート夫人に協力し、同じくフローレンスを邪魔する者も現れます。
そんな中でフローレンスの唯一の理解者であり、協力者となるのが、町の外れに住んでいる老人ブランディッシュ氏を演じるビル・ナイです。物語に深みを持たせつつ、かつ存在感ある演技で惹きつけられました。流石圧巻のパフォーマンスです。
特にガマート夫人宅に乗り込み、怒鳴りつける場面は本作においても重要なシーンの一つでしょう。
そんなブランディッシュ氏は町の住民たちに対して心を閉ざした人物の一人。やはりあのように周りの多数派に合わせ、云われもしない噂を立てるような輩たちですから、ブランディッシュ氏のことを忌み嫌っていたんですよね。彼が妻を亡くした話だって、まったくの見当違いも甚だしい限りでした。
序盤のシーンでも、本が好きなブランディッシュ氏が、著者の写真がついてるページだけを破って暖炉に放り投げていくシーンが、まさに他人を信用しない彼の心情を表していました。
そんな彼が心を許したのがフローレンスだったんですね。永いこと人と触れ合ってもいないんで、フローレンスを初めて家に招いたときのもてなし方のぎこちないこと(笑)こういう細かい演出も好きな要因の一つです。
2人の心の触れ合いを映画を通してずっと魅せられていたからこそ、あの最期は悲しくて仕方がなかったです。
もう1人の重要人物が、フローレンスの書店をアルバイトとして手伝う少女クリスティーン。本作ではフローレンスを助けながらも、母親や法律というところに邪魔されて、志半ばでフローレンスのもとを去る彼女。本作でも紹介される「華氏451度」の小説が物語に深みを加え、最後の最後にいい伏線として使われるわけです。
そこからのラストシーンは圧巻でした。
物語のラストとして予想だにしない結末を迎えましたが、フローレンスの末路に納得いかない部分もありながら、ラストを見せられると「これでよかったのかな」と思わせられる自然なつなぎ。素晴らしかったです。
本作は「世の中」というのを上手く表現していると思いました。さすがに村八分ってのは今時そうそうはないでしょうけど、小さなイジメや差別は小学校レベルでも巻き起こります。それが大人の世界まで発展すると本作のような惨状を生み出すわけですが、これが決して映画の世界だけに限らないからこそ観た意味があるなと感じた次第です。
きっと鑑賞側は「なんて酷いことを!」とフローレンスに感情移入しながら観ることと思いますが、正直自分に置き換えたときにじゃあブランディッシュ氏のようになれるかと言われると難しいんじゃないかなと。隣人や会社の同僚と上手く人間関係壊さずにやっていくにはある程度自分に嘘つくことも必要でしょう。だからこそ本作を観て、ほんの少しだけでも勇気を出して、弱者のために動いてみるのもたまにはいいんじゃないでしょうか。
さほど特殊な演出や派手な仕掛けがなされるわけでもなく、物語は特に前半部分は淡々と進んでいきます。なので、退屈に感じる人もいるとは思いますが、私は本作のような作品が大好きです。
また時間が経った頃にゆっくりと観たいなと感じました。
あー、レビュー書きながら色々と映画の場面を思い出してきて、本当にこの映画好きだわーって感じました!うん、好きです!