ニシカワリキ

L'empire de la perfection(原題)のニシカワリキのレビュー・感想・評価

3.4
「映画は嘘をつくが、スポーツは誠実である」。では、映画とスポーツが重なり合うこのスクリーンでは、どうか? それが本作の問いなのだろうということは、まあ、誰でもわかることではある。では、どうだったか。ジョン・マッケンローに魅せられた映像作家が「テニスを撮っているのではない。映画を撮っているのだ」と言う。同じゲームの同じプレーを過剰なまでにリフレインする演出と、「テニスと映画は、時間を創り出す点で似ている」というコメントは相似形をなす。その言明は一定の真理を突いてはいるが、それは皮肉にも(わかってやっているのかもしれないが)、これは映画だ、映画でしかない、という事実を照射していたように思う。しかしながらというべきか、だからこそというべきか、テニス教本からジョン・マッケンローの記録映像へと接続される過程を共有するものとして、興味深い"映画"であった。「結局"誰の映画"だったのか?」という問いは残されるが、その不可思議さこそがフランス映画らしさなのかもしれない(ほら、やっぱり映画なんだ)。結局のところ、「映像作家から映像作家への自己言及的映像作品」のために、テニス(マッケンロー)は媒介としていいように編集され、ドラマ化されている。この過程こそが映画の「嘘」なのだとすれば、しかし冒頭に引用したゴダールの言葉を真に受けた観客(ぼく)は、「きっとこの映画が語るのはスポーツの誠実さなのだろう」と期待していたはずなのだ(ぼくだけかしら)。すなわち、この時点で、嘘のかけ引きはもう、始まっていたことになる。