曇天

ネクスト ロボの曇天のレビュー・感想・評価

ネクスト ロボ(2018年製作の映画)
4.7
鑑賞中は至福の時間でした。人の生活を手助けするテクノロジーとしてのロボットが一般に普及した未来が舞台。でも町並みは懐かしいユートピア(=ディストピア)感があって、不良少女と不良品ロボコンビの交流が感動的で、日本のロボットアニメにリスペクト溢れていて、現代社会を皮肉ってて、王道アクションでど真ん中を行く、贔屓目に見て最高にかっこいい子供向け映画。これが劇場で観られないのがちょっと寂しい。

ロボットの役割は施設内の案内やレクリエーション、IOTなど、現代でいうとスマホやタブレットの代わりに一人一台ロボットを持っているような感覚。そんな中、主人公メイは子供の頃からロボット嫌い。父親が家を出ていき、母親はロボットに夢中、学校ではいじめに遭い、バカなAIのロボットにうんざりさせられる日々で、結果半グレのような状態なことがオープニング映像で語られる。メイは母親に無理やり連れて来られた大企業の新型ロボット発表会の会場…の地下の倉庫で秘密裡に造られていた大型ロボットと出会う。このロボットが他のロボットと違って「正直」で、しかも戦闘用の武器を持っていることを知ったメイは彼を友達として迎え入れ、遊びと称してむかつくロボを破壊して廻るようになる。

中国の実情が色濃く写し取られたような作風。便利で魅力的な商品に熱狂する一般大衆のイメージは分かりやすく中国人らしい。大企業を盲信する様は、決して体制側を信用しない中国ならではの皮肉だろうな。他にもアジア人は黒人や白人にいじめられるし、機械は爆発する…この辺はやりすぎな気もしますが。強力な中国資本がCGアニメにまで及んだ一例と見ることもできるが、一方でこれからを生きていく若い世代へ向けた熱いメッセージを沢山含んでいてどうしても捨て置けない一作なんです。

個人的には、自暴自棄なキャラクターに過剰に感情移入してしまう性分なため贔屓目な節も。過去に傷ついたメイと記憶装置が故障したロボット77は衝突しては仲直りを繰り返す。基本的にはメイが悪ガキで77が保護者的な立場なのだけど、77は楽しい時間を過ごさせてくれたメイにはっきりと感謝している。まともな77に対してメイが自分勝手という感想が多かったけど、辛い思いをしてきたメイはわかりやすく改心する必要はないと思うし、良い子になるのは彼女らしさを消してしまう。社会に順応できずグレるのも個性だよ。

メイのロボ破壊行為にもきちんと教訓が用意されている。ロボ破壊衝動の言い訳だった「社会の矛盾を正す」という主張は、実は別のキャラに引き継がれていて、それが間違いであることが作中後半で示されていく。序盤で博士はロボット77に対して「完璧は善の敵」だと言っている。人間の美徳は不完全なところであって、完全さを追求すると身を滅ぼすということ。完璧さを追求した結果があのキャラであり、メイの言う矛盾を正す行為の行き着く未来として教訓的な位置付けにあったことがわかる。最初はこんな細かい事は考えずに観るけど、子供は何度も繰り返し観ながらなんとなく理解しちゃうものだ。

本作は2040年代に起こると予測されている技術的特異点も意識している。AIが人間の技術力を超えて支配構造が入れ替わるなんて恐い予想もされている話題で、『ターミネーター』など映画ではポピュラーなネタ。しかし現実的にはAIの良し悪しはプログラムする人間次第であり、過剰反応するべきではないという話も読んだことがある。
良いAIと悪いAIがあるなら、本作は良い人間に作られたロボットと友達になる「次世代の子供」の話といえる。原題"NEXT GEN"はスマートデバイスなどの次世代機の意味だが、シンギュラリティ以後の賢いロボットの意味と、そのロボットを恐れず信頼関係を結べる新世代の子供のことを指すトリプルミーニングでもある。

まあシンギュラリティを除いても、なぜロボットと友達になる必要があるのかは、端的に思い出を保持する方法の違いで示される。つまりロボットとは自分と違う人間の子と同義で、違いを理解し合うのは次世代には必要だからだ。この辺はピクサー・ディズニーと同様で教育的でもある。

本作、特に台詞で語られるテーマ性の強いパンチラインが多すぎて紹介しきれません! 嬉しい悲鳴!
この後『ベイマックス』も観ました。あれはあれで最高!なので比較はしないようにしました。似てしまうのはしょうがないし(二作とも漫画原作!)『ベイマックス』になかったものをあえて描いたことは明らかですからねー。『WALL・E』にも近い気がします。
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