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楽園のNMのネタバレレビュー・内容・結末

楽園(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

広大な田畑の広がるのどかで美しい町で次々と連鎖する悲劇。
2時間あるが飽きない。しっかり把握しながら楽しむのをおすすめしたい。

神社の隅でフリーマーケットをしている女性がチンピラに殴られている。
他の大勢の出店の人は何もとがめられていない。
彼女の「わたしわかんないよー」というイントネーションから日本語ネイティブではないようだ。
神社、出店、ショバを張るチンピラ、暗黙のルールを守らない人は殴られみかじめを取られる、昔ながらの慣習がはびこる町。
女性の息子豪士(タケシ)は近くにいた氏子衆のフジキに助けを求める。
フジキはすぐに駆けつけてはくれるが、通報もせずチンピラのほうを有利に仲裁した。
対面とか上下関係とかを重んじ、慣習が最優先、トラブルは内輪で解決する。

タケシはかなり気が弱そうで、かなり無口。7才の時日本に来た。今は母のリサイクル業を手伝っているが、さっき仲裁に入ったフジキさんに今度働き口を紹介してもらう予定。
母には恋人がいるがろくな男ではなく、タケシはそいつから馬鹿にされたり邪魔者扱いされたりして、いつも寂しい思いをしている。
母の手伝いも嫌だし面倒をみてくるのも嫌だが、僕はいつか捨てられるのではという不安がずっとある。

その日、フジキの孫娘が下校途中に姿を消す。
総出で探したが落ちていたランドセルしか見つからなかった。
直前まで一緒にいた紡(ツムギ)は、当時の様子を父に聞かれても、近くに車が停まっていたことぐらいしか証言できなかった。

12年が経ち、紡は無口で寂しげな雰囲気の少女に成長していた。
あの時自分が一緒にいればという責の念がまだあるらしい。

タケシが車を走らせていると、驚いた紡が道で転び、それをきっかけに二人は距離を縮めていく。
お互いの孤独に共感したのだろうか。

やがて同じ場所で二度目の女児失踪事件が起こる。
その子も同じように下校途中に姿を消したらしい。

捜索隊が集められた。
妻を失い単身で帰郷してきたばかりの養蜂家、田中善次郎も呼ばれていた。
彼は高齢者ばかりのこの町では一番若く、積極的に村の雑用をこなし、みんなに頼りにされた。

有志の捜索隊が集合すると、いきなり何の根拠もなくあの黒人が怪しいとか前に事情聴取受けてたタケシがあやしいとかいう話が始まり、やはりタケシが怪しいと意見で一致。
一行はタケシの家に向かう。たった数分での決定。

ドアは蹴破られ、窓は割られる。
そこへちょうど家に帰ってきてその様子を見たタケシは、子ども時の家に投石されていたことを思い出した。
とっさに逃げ出したタケシは捜索隊に追い回され、逃げ込んだ蕎麦屋で焼身自殺してしまう。店から飛び出して燃えていくタケシをただ見つめる人々。
その時、二人目の女の子を連れていた真犯人の身柄が確保された連絡が入る。

藤木は捜索願いの看板を物置きにしまい、何やら晴れ晴れとした表情で気持ちに整理をつけた様子。
みんな、犯人が捕まり平和が戻ったことのほうが重要らしい。

タケシにも実際に会い、あいかちゃんのことを毎日考えていた紡は思いのやり場がない。

藤木は孫のあやかちゃんがいなくなった時から紡をずっと憎く思っていた。しかし犯人が捕まると紡やらタケシやらに憎しみをぶつける必要がなくなったようだ。

誘拐事件が終息してしまったので、村人たちには次の矛先が必要。

善次郎は、以前寄合で話した蜂蜜を使った町興しの相談に一人で役所に行った。するとそれだけで、寄合の連中は俺らをバカにしているのかと怒った。
集まりにも呼ばれず、俺に落ち度があったなら言ってくださいと聞いてもみたが目すら合わせてもらえず、ゴミの収集すらされず、侮辱的な噂を流され、妻の墓石に落書きまでされた。
怪我もさせられたが、やはり通報もせず一人黙って耐える善次郎。

一旦見る目が変わると何でも悪いことをしているように見えるようで、善次郎はあっという間に何の手段も取れないほど追い込まれた。あんなことを言った、こんなことをしていた、とどんどん噂が広がっていったのだろう。

その後は養蜂箱が画面に映ることはなく善次郎はやたら木ばかり植え、女性のトルソーをいくつも並べだす。

しかしそれも行政執行で撤去。
埋めた妻の骨まで掘り返されそうになり、とっさにその場所の土を食べる善次郎(それしか骨を守る手段がなかった)。
俺は一体どうしたら。
俺が何をしたというんだ。
善次郎はもう失うものがなくなった。

小さな村でお互いを激しく傷つけあっていく人々。一番異質な者から順番に虐め、それによって他のメンバーが団結している。それを繰り返すから何度も悲劇が起こる。
短絡的な若者、頑固な年寄り、みな物事を深く考えずとりあえず誰かを犯人にして怒りやストレスの矛先を決めたがってしまう。根拠などどうでも良い。とにかく常に一番悪いやつを決めておかないといけない。
全員でターゲットを追い込み、人々が団結するための生贄にさせられる。

人が死んだとき、最後の言葉はあれで良かったのか、自分の態度はあれで良かったのか、といった後悔は誰しも持つものだろう。最後の会話が素晴らしいものだったなどという幸運はなかなかない。
作品内ではその後悔を持つ人が何人もいる。それを引きずり過ぎると良くないことになりやすいようだ。それが簡単でないからこうなっているのだが。

良い人過ぎて妻に叱られたほどの善次郎でさえ、窮地に立たされるとあのような行動を起こした。
誰もがそうするわけではないが、この人は絶対何もしないということも言い切れないと示された。

タケシも、周りには何も判断できていなかった。
私だってここにいたら、それまではタケシが犯人らしいと聞けばそんなふうに見てしまうかもしれない。善次郎も。みんなから悪い評判を聞くとそう思い込んでしまわない自信はない。

良い人か悪い人かというのは区別できるものでなく、まして他人が根拠なくわかるものではない。あの人は良い人だよ、性格悪いらしいよ、とは簡単に言うべきことではない。
極度に追い込めば誰だってタガが外れてもおかしくない。
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