馮美梅

楽園の馮美梅のネタバレレビュー・内容・結末

楽園(2019年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

学校の帰り、あいかとつむぎという少女たちが田んぼで花冠を作っている。しかし、つむぎの花を1本取ってしまうあいか。ちょっとムッとするつむぎ。そしていつもの分かれ道あいかが「うちのおいでよ」とつむぎを誘うが、さっきの事でちょっと腹を立てていたつむぎはそれを無視して自宅のある方の道を歩き出す。

その夜、あいかが帰宅しないと村中大騒ぎになり、一斉に周辺を捜査したが結局、見つかったのはランドセルのみ。

一見、サスペンスのようであるが、実は人間ドラマである。
限界集落という狭いコミュニティの中で起きた事件に対して、同調圧力によって、罪のない青年が犠牲になる。

しかしそれだけではなく、つむぎもまた、あいかの祖父に「なんでお前は生きているんだ」と言われ、死んだような人生を送っている。彼女は彼女で自分の些細な怒りであいかちゃんとあの場で別れてしまったことを後悔している。

また一方、Uターンしてきて今は養蜂をしている善次郎。
人がいいのか、集落の人たちの為に色々尽力しているが、何とか限界集落を立て直したいと、自分の養蜂のはちみつを使ってカフェを作ってみてはというんだけど、その時は皆「いいんじゃないか」とか言いながら、役所の人がその話を集落の人にした途端、今度は善次郎を村八分にし始める。

善次郎はそんな集落の人たちの姿を見て、あいかちゃん失踪の犯人と祭り上げられ焼死した豪士の事を思い出す。まさに今置かれている状況は豪士と同じ。

現状を嘆きながらも、新しいことを受け入れようとせず、問題が起きると、誰か標的を作り団結をする悪しき慣習に豪士もつむぎも善次郎も飲み込まれてしまう。

しかし、つむぎはうざいほど自分に付きまとう同級生の広呂や豪士や善次郎の優しさに助けられて、死んだように生きて行くんじゃなくて、ちゃんと生きて行こうと決意する物語。

豪士も小さい頃、ベトナムから母に楽園と言われて日本に来たはずなのに、結局彼にとっての楽園はそこにはなかった。しかしそんな人生の中で唯一の幸せを見つけられたのがあいか、そしてつむぎとの出会いだった。

都会の無関心、田舎の独特のルールみたいなもの、どちらが良いのかはわからない。

今、神戸の小学校教師の問題ともリンクするような、問題の本質をすり替えてその場をしのごうとする世の中、結局それで罪もない誰かが犠牲になるそんな世の中辛すぎる。単に映画の物語ではなく、きっとどこかで大なり小なり起きている物語なのではないか…
馮美梅

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