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ジョー・パターノ 堕ちた名将/パテルノのLEONkeiのレビュー・感想・評価

2.5
第三者から見れば目の前の犯罪を見て見ぬ振りする者は、犯罪者と同罪だと非難する事は至極真っ当。

しかし同罪に至らしめた経緯と現在の立場を考えれば、そう単純に非難できる程の道徳心を持ち合わせているか疑問だ。

この映画の主人公〝ジョー・パターノ〟は全くの無名大学だった〝イリノイ州立大学〟をフットボール・ヘッドコーチ(日本で言えば監督)に就任してから、輝かしい成績を納め一躍全米・全世界に名だたる名門大学にまで押し上げた最大級の功績者で有り46年間君臨する現役ヘッドコーチ。

全米No. 1の国民的人気スポーツ〝アメリカン・フットボール〟、しかもその中でもカレッジ・フットボールは最高峰の大人気スポーツだ。

そこを踏まえなければ単なる少年への性的虐待事件にからむ人々の、陳腐な人間ドラマにしかならない。

反吐が出るほど数々の性行為は到底許されるものではなく、被害者の事を考えれば胸が張り裂ける。

道義的責任とは何か…

単純に事件に関わる人々の罪を考えるならば、関わった人々全て100%罪なのは当然のこと。

しかし何故この事件が起き、それに関わった人々がその時にその行動を取ったのか…感情的にならずその深層心理を知る事によって、同じ誤ちを繰り返させない為にも事件の全貌を解明する必要性が有るだろう。

こう言った事件は米国民は特に敏感で、マスコミ達もスキャンダラスに報道する。

カトリック教会の事件を筆頭に、聖職者や功績者や英雄などのスキャンダルは一般人の事件と比較にならないインパクトを与える。

犯した罪は裁判によって法律内で裁かれるが、道義的責任を裁くのは民衆の多大な影響力によって裁かれることになる。

英雄に持ち上げたのが民衆なら、奈落の底に落とすのも民衆。

その道徳心を裁く民衆がどれだけ、道徳心を持っているのかは知る由もない。


単純に犯罪を暴く映画ではなく、犯罪に関わる人々の心理から道義的責任とは何なのかを描いている。

パターノ自身が犯罪の当事者でない事と、実話ベースなので淡々とし盛り上がりに欠けるが、題材が題材なだけに変にエンターテイメント的に演出する必要もないだろう。

イラつく演技ばかり気になる(様になる)〝アル・パチーノ〟以外は地味な配役で、プレスリーの孫で〝リサ・マリー・プレスリー〟の娘〝ライリー・キーオ〟の記者役は意外に良かった。

何故かfilmarksのキャストに〝ライリー・キーオ〟が表示されていないのが疑問。


少なくても最低限の道徳心を持つ人々が増えれば多少は犯罪は減るし、モラルや秩序が保たれるだろう。

しかし残念ながら大人になって急に身につくものではない道徳心、問題はその道徳心を幼少時に教えられる人がいるかどうか..★,
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