QTaka

米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯のQTakaのレビュー・感想・評価

3.8
この圧倒的な熱量はなんだろう?
真正面から、真っ当を突き通す。
このエネルギーはなんだろう?
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今時の政治家とは本気度が違う。
「国会で」とか、「議員になる」とか、そういう目的で生きていない。
「沖縄をどうするか」その一点で生きている。
議員も国会もその手段でしかない。
だから、カメジローの何かを阻止しようとしても、それは手段の一つでしかなく、また別の手段で訴えるだけだ。
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映画に描かれた占領下の沖縄の置かれた状況は、まさに敗戦国の占領され、虐げられる市民達の姿だった。
瀬長亀次郎の驚異的ともいえる精神力、行動力を理解するのに、この沖縄の惨状の表現は必要不可欠だった。
虐げられ、苦しみ続けたその姿とともに生きてきたカメジローだから、今、私たちはその姿を受け入れられる。
そして、沖縄の歴史に一歩近づくことができる。
その沖縄の歩みを目前に見ると、この地を守る政治家の背負うものの具体的な姿が見えてくる。
沖縄県知事、あるいは沖縄出身の議員達の背負うもの。それは、なみなみならぬものであると。
今まで、知らなかった、知らされる事のなかった沖縄の現実を突きつけられた。
この映画の、ドキュメンタリーとしての力を感じた。
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クライマックスは、国会における質疑。
相手は、佐藤栄作総理。
沖縄の、その歩みと現状を訴える、その言葉に本当の力を見ることができた。
その言葉の鋭さ、圧力に佐藤総理が圧倒されていた。
激しいやりとりの後、佐藤総理がカメジローに近寄り、「あの本を貸してくれないか」と、カメジローは「あげますよ」と2冊の著書を提供した。
それは、戦後、カメジローが沖縄で市民たちとともに生きてきた、そこにあった姿が描かれていた。
それは、日本の、本土の国民が、見て見ぬふりをしてきた、その姿だった。
総理が、国会において、カメジローを前にして怯んだのは、まさにその沖縄の事実を避けていたからだろう。
恐るべき相手がそこに登場してしまったという事だったのだろう。
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この映画は、昨年公開されたドキュメンタリーの続編として制作された。
そこには、カメジローに出逢ってしまった監督の思いもあったのかもしれない。
でも、私には、今、この瞬間に、この政治家の姿が必要なのだと訴えているように見えてならない。
それは、カメジロー一人の姿に収まらない。
そこには、日本が劇的に動いていた、その時を動かしていた政治家達の姿もそこには有った。
果たして、今、この時代を動かしているのは誰か。
そこに、どんな姿を見るのか。
カメジローの熱い魂は、未だに私達に訴え続けているのかもしれない。
沖縄の平和、日本の平和、世界の平和。
QTaka

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