kuu

峠 最後のサムライのkuuのレビュー・感想・評価

峠 最後のサムライ(2020年製作の映画)
4.0
『峠 最後のサムライ』
映倫区分 G
製作年 2022年。上映時間 114分。
幕末の動乱期を描いた司馬遼太郎の長編時代小説『峠』を、『雨あがる』『蜩ノ記』の小泉堯史監督のメガホン、役所広司、松たか子、田中泯、香川京子、佐々木蔵之介、仲代達矢ら日本映画界を代表する豪華キャストの共演で映画化。
『蜩ノ記』に続いて作に主演する役所が主人公となる継之助に扮し、継之助を支え続ける妻おすがを松が演じる。

時代劇ちゅうジャンル(特に武士が闊歩した時代を描いた)は、近年ますます希少になっている。
そして、あったとてコミカルに描いた作品も多々あり燃えるものが少なくない。
萌え時代劇は増えたのが個人的には残念かな。
時代劇の定石を修正主義(重大な『修正』を加える意見や思想などに対して使われる)的、ポストモダン的、シニカルにひねった作品は(たいていは三池崇史監督のような)たまに登場するが、伝統的で真面目な史実か否かは別として古典的時代劇は悲しいかな絶滅寸前。
今作品が時代劇の王政復古と云えるほどの華々しさはないが、堅実でまっとうな作品でした。
扨、今作品の原作は先にも書きました、故・司馬遼太郎。
彼は現在でも最も有名な作家の一人であり(そう信じたい)、その作品は多くの映画化で前面に立っている。
小泉監督は、『乱』(1985年)や『影武者』(1980年)で伝説的な黒澤明監督の助監督を務めた経歴を持つ。

260年の天下太平の世の後、西洋では列強植民地支配が進み、徳川幕府下の日本のお気楽気分を揺るがし、15代将軍慶喜(東出昌大)は1867年、日本の再編と統一のために大政奉還を迫られる。
因みに『列強』とは、18世紀半ばから19世紀に欧米は産業革命などによって国力が高まり、軍事力も高まった時代、イギリスやフランス・アメリカなど、欧米の主要国は原材料や市場などを求めて、アジアやアフリカの侵略の競争に乗り出し、アジアやアフリカを植民地とした。
この時代の、植民地を獲得できるような強国のことを、『列強』(れっきょう)などと云う。

個人的な考えですが、
慶喜が朝廷に提出した文書にには『大政奉還』ちゅう文字はない。
彼は『政権を朝廷ニ奉帰』と書いていた。
大政奉還風にザックリと書くなら『政権奉帰』となり、勝者は歴史を記述する時に、統治機構を意味する政権ではなく天皇の行う政治を意味する大政という言葉を選択したことも踏まえ、大政奉還後、慶喜は自身を中心とした新体制を構築するつもりでおり、将軍職を離れても、徳川家は400万石の実力をもってして近代的な新政権による絶対君主を目指していたのではないかと思う。
故に今作品の東出演じる慶喜の堂々と述べた言動にも信憑性は増したかな。

話がそれましたが、お話は、
徳川忠臣・越後長岡藩・藩主牧野 忠恭(仲代達矢)の家老である河井継之助(役所広司)は、翌年の戊辰戦争の勃発に備え、どちらの側からの不穏な動きにも備えつつ、あらゆる手段で戦争を回避しようと決意していた。

武力中立を堅持する決意を固めた河合は、戦争が国を破滅させると確信し、必死に双方の和平交渉を試みる。
しかし、特に西側からの圧力は強く、土佐の副司令官で薩摩藩と長州藩の盟主である岩村精一郎(吉岡秀隆なかなか愚鈍役に徹してた)は、河合の無策と支持のなさに不満を募らせていた。
西軍が長岡城に通じる戦略上重要な榎峠を狙い、河合は最悪の事態に備える。

また、余談ですが、河井継之助と会談した軍監岩村精一郎は個人的に好きくない。
継之助と十分な交渉ができなかっただけでなく、捕縛せず虎を野に放ってしまった。
緊急事態を察した山県狂介が小千谷に駈け付けた時には、昨日まで沈黙していた同盟軍がすでに藩境に近い重要拠点の榎峠を攻撃していた。
これに気付かず、土地の娘に給仕をさせ食事をしていた精一郎の膳を狂介は蹴り上げたそうだ。
新政府の山道軍軍監として、破竹の勢いで進軍してきた精一郎には、今まで諸藩の無能な門閥家老だけしか会ったことがなかったし致し方ないとこもあるが、越後に入ってからも、小出島、芋坂そして雪峠で会津軍を蹴散らし、いとも簡単に小千谷を占領した。
岩村は土佐の宿毛の出身で、土佐の先輩である海援隊の坂本龍馬に憧れ、中岡慎太郎が率いる陸援隊に入った。
しかし精一郎が入隊するころには、龍馬も慎太郎もすでに暗殺されていた。
幕末の人材の乏しい時期なので、実戦経験もないのに突然東山道軍の軍監に抜擢されたが、24歳の若者には継之助との談判は荷が重かったんやろな。
後年、こんなヤツが男爵にまで出世した。
彼は、継之助の人物を知っていれば、慈眼寺での談判のやり方は違ったと後々まで悔やんだそうだ。
慈眼寺の肖像画ではなかなかの男前で、河合とくらべてどちらが悪役か見間違ってしまう。
🙇またまた話がそれました🙇
役所広司は主役の河合にカリスマ的な光を当て、その物語は女優の松たか子演じる愛妻お須賀の声で語られる。
今作品は、政治や官僚主義への対応、長岡軍の訓練監督、大須賀との家庭生活など、映画全体を通して河合の態度と次元を探るという不思議な視点に立っている。
今作品を構成する人間味あるシーンは、河井が大須賀を連れて芸者衆と酒を酌み交わし、音楽に合わせて踊るシーン。
また、河井が和平交渉のために官軍と会ったとき、河井がどのような人物であるかを見分けるのに役立つ瞬間と云える。
徳川の忠臣たちに比べ、西軍はより寡黙で、擦れっ枯らしで、せっかちであることが証明されている。
夜半、岩村が起こされて河井がまだ領地を出ていないことを知る瞬間がある。
一瞬、岩村は『非常に礼儀正しい』と云われる河井の物腰が気になるが、出て行けという命令には『耳を貸さず』、時々『月を眺めながら』行ったり来たりする。
もしかしたら岩村は河合の立場を考えてくれるかもしれない。
しかし、映画(そして歴史)が語るように、岩村の拒絶は河合に自分の領地と領民にとって最善の道を選ばせるのに十分と云える。
劇場で見逃したプチ時代劇ファンとしては、待望のサブスク配信作品と云える。
しばしば他の映画の中心になったり、ほのめかされたりする歴史的瞬間に、特別な視線を向けている。
日本の時代劇や武士の叙事詩をたくさん見ていると、点と点が少しずつつながっていき、観察するのがとても面白くなる。
もちろん、これで歴史通になれるわけではないんやけど、そんな特異な虫に刺されたような気分になるのもいいものです。
映画としての今作品は、見事な撮影技術、目に見える詩情、キャストの凛とした演技が相まって、このジャンルにふさわしい映画として、この上なく模範的な作品に仕上がっていました。
壮大なセット、衣装、シークエンスは、司馬文学の歴史的な展開に対する小泉監督のビジョンに忠実かな。
仲代をキャスティングしたことで、故黒澤監督のフィルモグラフィーのDNAを多く受け継ぐ俳優として、物事が丸く収まったことは間違いない。
今作品は、実に豊かで満足のいく時代劇映画の体験ができました。

かたちこそ 深山がくれの 朽木なれ 
        心は花に なさばなりなむ           
    兼芸法師

我は見かけこそ奥山に隠れた朽ち木ですがね。
しかしながら、心にはきれいな花を咲かそうと思えば咲かせられますよ。
kuu

kuu