町蔵

熱狂 ドンバス交響楽の町蔵のネタバレレビュー・内容・結末

熱狂 ドンバス交響楽(1931年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

「熱狂 ドンバス交響楽」
Энтузиазм (Симфония Донбаса)
Entuziazm: Simfoniya Donbassa
1930/ソ連/1930/65min
製作:ウクライナ・フィルム
監督:ジガ・ヴェルトフ
助監督:エリザヴェータ・スヴィーロヴァ
撮影:ボリス・ツェイトリン
音響:ピョートル・シュトロ
音楽:ニコライ・チモフェーエフ
  ドミートリー・ショスタコーヴィチ
●レニングラード・ラジオ局からショスタコーヴィッチの交響曲3番「メーデー」の最終楽章が放送される。それを聴くウクライナのドンバスから社会主義革命のレーニンの五カ年計画の3年目の闘争が声を上げる。それは都市部から農村部のコルホーズまで響き渡り、社会主義の理想が拡がるのだった。
■ウクライナでのソビエト政権を磐石なものにするために、ソ連政府・共産党はウクライナ化政策を実施、その中でジガ・ヴェルトフがウクライナで製作したトーキー・ドキュメンタリーの傑作。
旧ソ連に統合されたウクライナにはキエフにウクライナ・フィルムが設立された。そこはウクライナの巨匠アレクサンドル(オレクサンドル)・ドブジェンコを記念して後にドヴジェンコ・スタジオとも呼ばれるが、そのウクライナ・フィルムで製作された初期のトーキー作品が「熱狂 ドンバス交響楽」。
監督は「カメラを持った男」で知られるジガ・ヴェルトフ。
ヴェルトフは本名デニス・アルカジェヴィチ・カウフマンで、ロシア領だったユダヤ系ポーランド人。
革命後のソ連でニュース映画を撮影するが、ロシア・アヴァンギャルドの影響も強く。独自の編集スタイルを確立
「カメラを持った男」はその集大成であったが、
イタリアの未来派の影響もあって、ノイズ音響を多用したトーキーの第1作が「熱狂ードンバス交響楽」である。
ウクライナにはこの時期に既にソ連下でも反ロシア的な動きは
あったがここではソ連に貢献するウクライナしか描かれることはない。ドンバスは工業地帯でそので製造されたトラクターを使って肥沃なウクライナの小麦畑で農産量を上げるというレーニンの五か年計画にのっとったプロパガンダが叫ばれるのだった。
レニングラードのラジオから流れるショスタコヴィッチの交響曲3番そしてまずは、ロシア正教会の締め出し、ボリシェビキによるアンチ・宗教革命が叫ばれ、やがて社会主義革命はウクライナの農村部まで拡がる。
1918年にロシア革命が起こり、ロシアはソビエト連邦になります。
ウクライナでは民族主義者を中心に抵抗運動も起こりますが、結局ウクライナもソビエト連邦に入るんですね。
レーニンが死にスターリンの時代が始まると、ソ連における第一次五カ年計画において、コルホーズ(集団農場)による農業の集団化、富農の撲滅運動、また反国家分子を強制収容所に収容、さらに穀物の強制徴発などを原因として発生し「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出したとのこと。この映画はそんな裏があります。
もちろんこれはソ連映画ですからそんな部分は描かれません。ロシア正教の撲滅と、社会主義を実現に前進する人々だけを描きます。集団農場というのは要するに農業の機械化ですね。最初はドンバス地方では産業革命時に石炭の炭鉱が開発されたので、石炭埋蔵量最大のドネツ川沿いの地という意味で〝ドンバス〟となったようです。
ドンバスの石炭で鉄工所でトラクターを量産します。映画の前半は宗教を倒して、若い労働者が社会主義の実現のために炭鉱から石炭を掘り出し、それを鉄工所の職人たちが鉄を精製して、トラクターを作ります。後半はそのトラクターを使って集団農場で小麦を刈り入れるんですね。ウクライナの農夫たちは歌いながら、小麦を刈り入れます。
しかしこの映画の2年後の1932年には〝ホロドモール〟が起こります。ウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉ですね。330万人から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出すんですね。
ジガ・ヴェルトフの優れたトーキー映画ですが、今見るとやはり複雑ですね。
この映画で歌っているウクライナの農夫たちもこの2年後には餓死した可能性がありますね。
映画は恐ろしい歴史の記録ですね
またヴェルフもこの後、スターリンに形式主義者だと批判されて、独自の映画製作の機会を奪われ、晩年はスターリンによる反ユダヤ政策の影響でニュース映画の編集に従事させられたんですね。
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