フォンザヲ

ジョーカーのフォンザヲのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
ホアキン・フェニックスの演技に全て持っていかれた。
えぐい減量によって狂気を潜めた悲しい肉体を作り上げた。
誰もが類似性を指摘するように、本作は「タクシードライバー」の影響を色濃く受けている。
そして決定的なのは、狂ったタクシードライバーを演じたロバート・デニーロである。なんと劇中ではそのデニーロが人気テレビ司会者として登場し、「お前は最低だ。」とジョーカーにぶっ殺されるのだから、映画史に残るmasterpieceをぶっ殺すという皮肉が効いている。
デニーロが演じたトラヴィスが最終的に社会のヒーローになった過程とジョーカーが悪のヒーローになった過程は奇しくも同じである。だがオリジナルを殺すには、何か決定的な違いがあるはずだ。なぜジョーカーは「悪」なのか。
ジョーカーは極めて自己愛性が強い。彼の主張はデニーロが番組内で否定したように独り善がりのものなのだが、なぜか反体制の旗を靡かせる風を吹かす。トラヴィスと同じように悲劇が知らぬ間に喜劇へと変わっているのである。
トラヴィスは社会的に正義の行いをしたヒーローとして新聞を飾るが、ジョーカーは暴漢達のヒーローとして掲げられる。つまりジョーカーの「悪」とは、体制側から見た悪である。しかしジョーカー本人が口にするように、彼に体制反体制の政治的主張はない。徹底した自己愛性に尽きるのである。本作が公開された2017年はトランプ政権の頃で、本作が映画館の外で政治性を含むのは自然な成り行きだろう。しかしながら、劇中のメッセージを政治的に解釈している様子はジョーカー曰く「喜劇」そのものなのである。これはタクシードライバーで世間がトラヴィスをヒーローに仕立て上げた「喜劇」と同じである。
ジョーカーがデニーロ(=トラヴィス)をぶち殺したのは、そんな「喜劇」を否定して幕を引き、本当の喜劇を始めるためなのである。悲劇がなければ喜劇は生まれない。この不可逆な価値観こそトラヴィスとジョーカーに通底する美学なのである。
音楽とのシンクロは最高で、that's Lifeで踊るジョーカーの姿にカタルシスを感じるのも無理はない。劇中に散りばめられたアメリカンニューシネマの遺薫(移香)が素晴らしい。
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