踝踵

ジョーカーの踝踵のネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

映画を見ていて、ヒーローとヴィランの違い、またそれぞれの定義が分からなくなってしまった。同じバットマンでも、視点が変わるだけで観る人に価値転換を起こさせるんだなあと気づかせる、いい映画だった。

(当然と言えば当然だが)ウェインに息子だと言っても妄言だと言われ、憧れの司会者に番組で紹介されたと思ったら小馬鹿にされ、誰にも見向きしないからいよいよ自分でありもしない妄想を働かせる…アーサーがジョーカーになるまでのシーンは長く辛いが、「誰一人としてまともにアーサーと向き合おうとしなかった/傾聴しなかった」点で一貫していると思う。人々の無関心がジョーカーを生み出したのであれば、アーサーが狂っているのではなく、社会が狂っているという最初の問いに帰ってくるのがとても印象深かった。

とはいえ、あんなに気持ちが悪くてよく分からない事を普段から言っていたら誰も相手をしないと思ってしまうが…こういう排他的な考え自体が狂人をヴィラン(今作ではヒーロー扱い)に育て、そんな考えを持った自分は「狂った社会の一部」なのではとぐるぐる考えてしまった。

また、除け者にされてきたアーサーが立場の強い人を殺すシーンには鬱屈とした気持ちを解放させる気持ちよさがあった。ジャイアントキリング、ゲームチェンジャー、革命、いろんな言葉が思い当たるが、それこそジョーカー的な存在感を出していた。映画を見た人は自然と職場の上司や毒親を頭に思い浮かべたのでは無いだろうか。そういう社会が悪なのであれば、アーサーはヒーローなのかもしれないと思ってしまった。

「可哀想なヴィラン」を描くストーリーは出し尽くされた感があるが、キャラクターの心の機微をここまで丁寧に描くことでヴィランとヒーローの違いが分からなくさせる手法が新鮮だった(単にヒーロー映画を沢山見ていないだけかもしれないが)
ヒーロー映画系の中では地味な部類だけど面白かったです。
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