グラノーラ夜盗虫

ジョーカーのグラノーラ夜盗虫のレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
この映画を通じてなにより感じたことは、社会からの疎外の結果、自己肯定感・効力感を喪失した人間、死を恐れずむしろ志向する人間は、社会にとってなにより脅威であるということだ。最近の類似事件を踏まえてもやもやと考えていたことについて、体系的に模索してくれている映画だと感じた。

マイケル・サンデルが批判するように、個人の境遇を努力に帰すことで自己責任論につなげる「能力主義」の風潮が、社会で成功した人々の自己正当化を手伝うことでこの社会的格差を正当化・強化する一方で、確実にそうでない人々の疎外と自己肯定感・効力感の喪失につながっている。

アーサーは精神障害を負っているものの、物語の当初は心優しい善良な人間として描かれている。しかし、社会に目に見える形で貢献すること(これはしばしば金銭的な指標で図られる)、人に認められることを個人の価値とする社会の中では、彼の価値は認められない。彼は個人の尊厳を貶められる中で完全な狂気に支配されるが、偶発に起こしてしまった殺人を通じて社会に認識され、人々に賞賛されることをつじて、彼が自己効力感・肯定感を得るに至る。

その中で、犯罪に踏み込む人間は、もはや死を恐れないまたは積極的に求める人間だ。死を恐れない人間は恐ろしい。少なくとも日本の司法権力は死を最大の罰として構成しているが、その死をすでに覚悟し、また望んでいる人間には、その権力は作用することができない。アーサーも死を恐れないからこそ、連続する殺人に手を染め、そして止められることはない。

最近、社会に疎外されたと感じた人々が、疎外されたことに対する怒りを爆発させるとともに、社会に自分の存在を顕示することを志向して起こす事件が散見されているように思われる。
社会への怒りを溜め、死を恐れない人間、一言でいうと”やぶれかぶれ”な人間は社会にとって大きな脅威である。それを連続的に生み出していることは、現在の社会の構造に重大な欠陥があることを明らかにしているのではないか。