武松

ジョーカーの武松のネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

字幕なしの英語で見たので70〜80%くらいは何言ってるか、わかりませんでした。

率直な感想を害すのでネタバレとか他の人の感想とか見てないので全然違った解釈、感想、ストーリーだったらごめんなさい笑

初めて長い感想を書きます。読みづらい文章になっちゃいました。ごめんなさい。

割と序盤から「人間失格」の主人公に投影して観ていた。お互いに仮面をつけて境界性人格障害というか自分の中にもう一人の自分を求める。また、どんどん求めていた人格が大きく育っていく。後半もイメージに大きな狂いはなく人間失格の主人公(以後、葉蔵)が酒で狂っていくように殺人でジョーカーも狂っていく。唯一の違いは女にモテるかモテないか、そして、頼る人がいるかいないか。しかし、葉蔵も頼る(身を寄せる)人がいても仮面を被り続けている点から大きな違いではないかと思う。何より1番の類似点は、2人とも純粋な良い子であること。あるいは、神様みたいないい子であること。

アーサーがクビになり建物から出る時、暗い部屋から扉を開けた時の外の明るさを使って比喩が用いられていた。この明かりはもう一つの人格が生まれた祝福の光ではないかと思う。もう一つの人格とはつまり、殺人者としてのジョーカー。この人格が生まれることは決して明るくはないが、アーサーが生きる上で止むを得ずに、自分を守るために生んだとするならば、彼個人の視点から見ると明るいだろう。
さらに最後も同様の構図で精神病院の扉を使った比喩があった。これは明るい部屋から明るい外が見えているが出られないといった形だった。この比喩は、さっきも言ったように自殺などしなかった点からアーサー個人の視点から見た時に明るい状況(部屋の中)と、ジョーカーとしての人格がある以上今後も明るい(部屋の外)のだが、”ジョーカー個人としては明るいと最初に言ったが本当にそうか?その人格には破滅しか待っていない”という双方明るいにも関わらず、むしろ暗い比喩に感じた。

また一番悲しいのは、ジョーカーの殺人はKill the rich なんて思惑はこれっぽっちもない。自分個人の尊厳などのために仮面をつけることにより本当の自分を出すことができる状況をつくり人を殺していた。しかし大衆のKill the richという見解とワーカーからの称賛から本来なりたかった有名人、芸人のような状況になり祭り上げられる。だから望んだ形ではないが、大衆の期待に応える。本来の自分を出せる仮面のはずが、その仮面も人の期待に応えるために偽りの自分にせざるを得なくなり、でも、それは(ジョーカーという仮面をつけずに)なりたかった自分、という矛盾を孕んだ結果になってかわいそうだった。それを端的に表しているのが事故後、意識を取り戻し大衆に煽られて車の上で踊るシーン。ジョーカーは化粧が落ちて笑っていなかった。しかし、大衆からの煽りによって血で再び化粧をし、そして笑った。

本当になりたい自分には結局なれずハッピーエンド?を模したバッドエンドのように感じた。
武松

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