ケンタロー

ジョーカーのケンタローのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
5.0
数日経つってのに、まだ頭が💫クラウンクラウンするぜ…🤡 HA HA HA HA!!

ホアキン迫真の演技、映像美、音楽、風刺と映画的仕掛けに満ちたシナリオなど見どころが多く、魅力に溢れた傑作だ!
悲劇と喜劇、善と悪、現実と妄想といった相反する要素を多重構造で組み上げ、観る者の感じ方や解釈にもアソビが設けられている。まるでピエロが飛び出すビックリ箱のような映画…。いや、パンドラの箱と言った方が正しいか…。

さて、映画に仕掛けられた仕掛けや社会的、または哲学的な考察はたくさんのレビューで目にするので、ジョーカーらしくちょっとガイキチな観点から感想してみる😁

題して、映画『JOKER』と『志村けんのだいじょうぶだぁ』の共通項!

ふと思い出したのが、コント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』だった。

そのコントの中にシリアス劇場なるものがあった。宗次郎さんの物悲しいオカリナの曲『悲しみの果て』をBGMに、長尺の無言劇が延々と続くという異色のコントだ(^_^;)

例えば、妻に先立たれた老人(志村けん)が妻との苦楽の人生を想い返し、死化粧を施した妻を背負い、そのまま海に入水自殺をはかるという…まったく笑うとこなど無いサイレントドラマなどが代表的。

爆笑コントが続く中でいきなりぶっ込まれてくる救いの無い悲劇に当時子供だった自分はかなりびっくりしたもんだ。

この企画は、スタッフと飲んでいた志村けんが「人を笑わせられるなら、人を泣かすぐらい簡単な話」と豪語したことからはじまった挑戦的な企画であったらしい。

面白いもので、観ている側は悲劇を悲しみながらも、心のどこかで "笑いに変えてくるかもしれないゾ" という、期待を常に抱き、この悲劇を笑いたいと思っていたことだ。
しかしこの無言の悲劇は死で終わることが多く、正直笑えなかったと記憶している(^_^;)

直後のコントでまた腹を抱えて笑うことになるのだが、この感情を操作されている感は映画『JOKER』に近い気がする。救いの無い悲劇の連続から一転して、ジョーカーの階段のダンスでカタルシスが崩壊するあたりは、変なおじさんダンスや、ウンジャラゲ、パイのパイの体操での解放感にも共通する!ような気がする…笑

それによく考えてみれば、バカ殿様は白塗りの怪人だし、情緒不安定なキャラクターで、まるでジョーカーじゃないか!
未だ独身を貫き、その私生活は謎に包まれ、孤独を感じさせる面をもちながらも、常に傍らには美女(ハーレークインか…)を侍らせている志村けんさん… うわッ、もうジョーカーだよねコレ?笑

チャップリン、ビートたけし、ダウンタウン松ちゃん、笑いのプロフェッショナルたちが必ず悲劇を描きたくなるのは何故か?

それはジョーカーが言うように喜劇も悲劇も同じで、見方次第で変わるものだし、志村けんさんが言うように笑わせる術をもつ者にとっては、悲しませることは容易いようで、やはり『JOKER』監督のトッド・フィリップスはコメディ映画『ハングオーバー』シリーズで名を馳せたのであった。

喜劇も悲劇も見せる側からしてみれば全て計算で成り立っている。その計算が出来る者に悪意や冷酷さはあるのだろうか? それとも、ただただ追求者として純粋なだけなのだろうか?
絶望を笑うコメディアンの性を垣間見た…。

映画『JOKER』は一部の人にとっては救済になると思う。

あなたは『JOKER』によって…
救われましたか?
それとも巣食われましたか?

😁 HA HA HA HA HA!!! 🤡