喜連川風連

ジョーカーの喜連川風連のレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.5
行われていることは狂気だが、表現としては優等生かつ、スタイリッシュ。

地下鉄の電灯、どこまでも続く線路、アメリカの街並み、タクシーが突っ込んでくるカットなど、美しくもあり、
人物の切り取り方はどれも想像を超えないものだった。

名匠キューブリックならこの映画をどう切り取ったか気になる。
本気でホアキンが狂ってるがゆえに画面の綺麗さすら気になってしまった。
(例えば、暗い気分の時は雨を降らせ、暗い音楽をひたすらに流すとか、狂気を描くには物足りない)
本当の狂気は雨に唄えばを歌うマクダウェル少年のような明るい中に潜んでいる。
これでは暗すぎる。

内容としてはタクシードライバーをスケールアップしての焼き直し。

ただ、クソみたいな日常を送る白人男性の意味合いがベトナム戦争後の当時と今とでは決定的に異なっている。

トランプ現象を生んだ白人貧困層の気持ちを代弁するかのように富裕層への攻撃姿勢をあらわにする大衆と、祭り上げられるジョーカー。

笑われることで自己を保っていた人間が、意図しない笑いに遭遇した時、それはプライドを大きく傷つけられることと同義になるのだろうか?

ありのままのアナ雪
から
誰も理解してくれないし、愛もない、理解もないから好き放題やりますのジョーカーへ。

自分たちだけ救われれば、世界がどうなろうと関係ありませんの天気の子がヒットするように、世界はつながりやすくなった分、どんどん狭くなっているのかもしれない。


_______
ダークナイト視聴後

ダークナイトで「想像できない悪」
として描かれていたジョーカーを病気×貧困層×不幸で描くことで、共感を呼ぶキャラとして描き直していたところに改めてすごい。

想像できなかったのは彼が、富裕層出身だからであって、やってる正義も誰かから見たら生きるためにやってる何かを邪魔してることに他ならない。

初見では狂気が足りないと書いたが、
この映画において、大切なのは狂気ではない。正義や悪の二元論でもない。

人間はいつどっちに転がってもおかしくないという怖さに似た現実だ。
喜連川風連

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