Ksato

ジョーカーのKsatoのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.8
1回目見た時はホアキンの演技に見入ったりして高評価つけたけど、見返して冷静に観たらあまり面白くはなかった。

経済的な格差による貧困層の資本家に対する反発や憎悪、という主題だけを見ると、少し古い感じがする。
依然として貧困は人間社会を覆っている大きな問題ではあるかもしれないけど、闘争の限界が歴史的に分かりきってる時代にこれを作るって、恨みの発散によるカタルシス意外になんの意義があるのだろう。

でもまぁ、友敵の構図で恨みを散らしているのは、貧困に限らず色々な種類の対立でも同じで、それらの心理的な共通点を探るのに、この作品は適しているような気もした。

たとえば最近、インセルと呼ばれる連中が、モテなかったことの理由を女性に帰属させて無差別に攻撃する物騒な事件が世界中で頻発しているけど、この映画を見てて色々その辺思うところはあった。
ジョーカー自体は女性憎悪だけを理由に犯罪に走っているわけではないけど、心理構造としては似たようなものが多そう。
うまくやれてる人間を敵に仕立てて自分のテリトリーを保つのはナチスが行った手法とも被る。

難しい問題だと思う。
自分は基本自己責任論は許容出来ないし、環境は確かに個人を強力に規定しているとは思う。
けれどそうやって全部原因論で語ってしまうと、情状酌量の余地ということで色々と有耶無耶になってしまうことも多い。

ので、自分はいつも、環境は人に前提を与えるだけで、そこから当人がどんな意思で行為したかを重視することにしている。

だから自分の了見の狭さを気づかせてくれる友人も、機会すらも逃してしまうのは、本当に哀れだと同情もするけれど、あたかも全部経済格差であるかのように語って自分の責任だけは完全に免責するムーブには頷けないし、追い詰められて特定の属性や集団を全員敵にしてしまう心理は明確にバグだと思う。

こういう言説そのものが「モテたいの?」的な短絡に回収されたり「抜け駆けすんじゃねぇ」みたいな同性ノリの発動に終始されたり、勝手に同族前提で語られたりする時、話合わなすぎて別の生物かな?とか思うし、そういう時に厭世的な気持ちが溢れたりもするから、他人と分かり合えないことによる鬱憤の気持ちはとてもよく分かる。その共感してしまう部分を考える入り口に使いながら、色々と自分の中で線を引けたらいいと思う。

非モテに限らず、疎外された存在や弱者であることを是とし、正義だと思う思考からは距離をとっていきたい。不幸であるということをとるに足らない承認の手立てに利用することで、そこから抜け出せなくなる人間をたくさん見てきた。
だから、自分はモテる人間の方の魅力に感化されたいし、積極的に人と関わっていきたいと思う。


なんか、自分の感想はいつも実存的な視点に根ざしているから、毎回似たような感想しか出てこなくて、もういちいち書くのも野暮かなぁとか思ってる今日この頃です。
Ksato

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