この映画はオープニングロゴからエンディングも上から下へ流れるのではなくパッパッと表示されモノクロ時代の映画のように「JOKERと言う男の喜劇物語」という“劇中劇”的体裁をとってはじまる。
──バットマン『ダークナイト トリロジー』の“ダークナイト”でジョーカーを観た。そこで異色のダークヒーローっぷりに惹かれた。
そんな「ジョーカーを生み出したストーリー」が本作なのだが、私の興味は「ジョーカーはなぜ、どのような経緯で悪党になったのか?」の点であった。
数多の小説や陳腐なピカレスクストーリーを読みあさると大概、幼少時の虐待や虐げられた生い立ちに起因させるのであるが、私はそこに違和感があった。いかにも安直で「リアリティに欠ける」のである。
まずそれは一般人の浅薄な思い込みそのものでステレオタイプすぎる。
私の周囲の任侠道に入ったような友人・知人の生い立ちは決してそうではない。あくまで子供が元々個々に持つ「傾向性」によって虐待されていようがそんな逆境から成功する者も多い。その逆で裕福な家庭の出の場合ももある。例えば周囲の友人に悪人が多いとそれに染まる理屈はわかるのだがこの主人公は染まる悪が周囲にいるわけでもない。
──さて、果たしてこの映画ではそこをどう裏付けしてくるのか、そこが楽しみであったが、まずコメディアンになりたい。人を笑わせたい。人の笑顔が好きな人物の心根が悪に裏返る事はまずない。“ピエロのメイクの悪漢”という個性の強いJOKERのキャラクターが前提にあったため、そこへ関連づけする事にかなり筋書きは苦労したとおもうのだが、このエピソードでは腑に落ちない。
結局“ピエロのメイクをしたまま殺人を犯す”事が“ピエロ暴動”に繋がるために、ここも無理やりで、仕事の帰りにピエロのメイクを落とす習慣がないようにしてしまったのが不自然すぎておかしい。
マンションの同じ階に住む黒人親子へは妄想を抱いていた描写があるが、そうなるのはTV出演依頼の電話も「夢だった」となる「伏線」かと思ってしまう。
彼が「悪道」に入る要素は以下である。
・カウンセラーも人の話を聞いているようで実は全く聞いていない。
・幼少時の虐待で脳障害が発生し突発的に笑いが止まらなくなる
・仕事では仲間に裏切られ、つまらぬ誤解から解雇されてしまう
・街頭で不良にカンバンを持ち去られ追ったあげく袋だたきに遭う
・電車内でサラリーマンに絡まれる
・母親がお手伝いをしていた時に主から性交渉を受け自分が生まれた
→養子?
・虐待していたのは最愛の母親だった。
・人気TV番組のコメディースターも所詮笑い飛ばすために自分を利用した。
ざっと彼が悪党に至る経緯と思しき項目を並べたがまるで納得性がない。彼は決してそれらに裏切られ絶望した「心の弱い人物」とは思えない。例えば“ダークナイト”のジョーカーは機敏で知能が高くスタイリッシュでもある。そして決定的なのは「人殺しを愉しむ」設定ではなかった。だから今回の映画のジョーカーはそこへは繋がらない。
この作品でなにやら「リアリティ」を感じ悪党になるプロセスに納得したような観客は日頃の「決め付け」「思い込み」がいささか強すぎるのではと心配してしまう。
もっと筋書きは繊細に「身につまされるように」構成して欲しかった。
ラストも逮捕されたんだか女性警察官を殺して脱走したのかも不明瞭と感じた。