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ジョーカーのQTakaのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
これはいったいどう言う映画なんだ?
一人の狂人の誕生は、やりきれない悲劇の人生の末だったと言うことか。
あるいは、その狂人を産んだのは、鬱積した人々の怨念か。
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DCコミックが生み出した、最悪の悪役ジョーカーの誕生物語。
ではあるけども、その誕生は、ただ一人、狂人が生まれたと言うことに留まらないと言う気がした。
アーサー・フレック(後のジョーカー)は、劇中で5人を殺している。
(その後、ジョーカーとしてもう一人殺している。)
しかし、彼の狂人としての本性は、これらの殺人に現れていたのではもちろん無い。
あのピエロのお面を被った暴徒達こそが、ジョーカーの本質だろう。
それは、もう何人も争うことのできない、群衆の狂気だ。
とすると、この狂気は、一人の人間の狂気でもなく。
一人の悪人の物語でもなくなってくる。
それは、ふつふつと沸騰する憎悪であり、人々の口から吐き出される罵声であり、正気を嘲笑う面相こそがジョーカーを生み出す源泉であり、エネルギーだったことに気づく。
フレックのその生い立ちや現在の生活、そして日々の出来事。
いずれも、彼にとって悪夢でしか無い。
何もかもが彼を不幸にする。
その業に抗うように、世間に復讐するように彼が立ち上がったときに、その世間はその彼の姿に呼応するように爆発し暴走し始める。
悪夢にうなされていたのは、フレックただ一人ではなかったのかもしれない。
「世間が悪い、世の中の全てが自分を不幸にする。」
だから、この世の中をぶち壊すんだ!という暴徒化した民衆。
そして、フレックは、暴徒達の象徴として祭り上げられる。
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どこかで何かが掛け違っている。
フレックがただ一人世間の不幸の全てを背負っているわけでは無いのに、なぜ彼は狂気を選んだのか。
その彼をヒーロー?に祭り上げた群衆の”悪”は、どう考えるのか?
いったい、誰が”悪”の素なのか?
誰も、何も解決されないまま物語はエンディングを迎える。
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疑問が一つ
ラストに出てくる医療施設。
カウンセラーを前にして会話がある
このカウンセラーは、物語の中に登場したカウンセラーと同一人物?
でも、劇中では、行政の縮小でその職を解かれていたはず。
このエンディングシーンは、いったい何?
私の解釈
物語は、途中からフレックの妄想になっている。
特に、憧れのTVのコメディーショーに自らが紹介され、出演すると言う展開は、まさに妄想。
その後の、招待されたスタジオでの惨劇も、街を占拠する暴徒も、フレックの妄想の究極。
自らの出自からコメディアンとして認められない現実を、全てに対して鬱積した憤懣を、妄想の中で爆発させただけなのか。
とすると、あのエンディングの、それまでと全く異なる真っ白な医療施設の表現は、少し理解できる気がする。
ジョーカーは、フレックの妄想の産物。
だとすると、あの血塗られた足跡は、底知れぬフレックの怨念の現れなのか。
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粋なフレーズ。
”Don’t forget Smile.”
のforgetをマジックペンで消す。
”Don’t Smile.”
コメディアンのはずが、「笑うな!」と訴える。
映画には、チャップリンの映像も出てきて、名曲”Smile”も流れて。
でも、その”Smile”は、フレックのピエロの笑顔そのものなのに、それを否定する。
確かに、ピエロの笑顔は、本当は笑ってはいないよね。
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名シーンとあの階段
すごく急な階段が出てくる。
下からのアオリのアングルが階段の傾斜を強調しているのかもしれない。
フレックの住むアパートへの途中にある階段だ。
重い足取りで登る階段は、本当にキツそうで長い。
一方、後半のシーンで、その階段を踊りながら降りてくるピエロのフレック。
それは、この映画の中で、もっとも美しく、もっとも怪しく、もっとも狂気に満ちた姿だったかもしれない。
この姿に、魅了された人は多いはず。
その瞬間、そこには確かにジョーカーが居た。
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