るる

ジョーカーのるるのネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

アーサーの境遇、わりとずっと、そういうことはあるよね、しんどいよね、ぱっと見ではわからない病気や障害の辛さ、あるよね、母親の世話をしなきゃならない、つらいね、誤解を解けないもどかしさ、そういうときに限ってまた、ほんとクソだよね、社会って…と共感に近い感情を持って見ていた、

そのわりに生々しく迫ってこなくて、その理由を、考えている…単純に、ドラマ映画を見慣れているからかもな。観客がアーサーもといジョーカーに過度に同情したり同調したりしないように、とても抑制の効いた撮られ方をしていたと思う、あえて、だと思うんだけど…

悲しいときこそ笑うんだ、涙を隠してでも笑わせるのが俺たちの矜持、というコメディアンの美学に憧れがある、舞台裏でなにがあろうと、板の上では全力でパフォーマンスする、そういう在り方に途方もないロマンを感じている、

でも、観客である俺たち私たちが、彼らにそれを強要してはいけないよね、お前たちはどんなときでも俺たちを笑わせるんじゃないのかよお前たちはいつまでも俺たちに笑われる存在であれ、しょせん芸人だろうが、などと迫るようなことは、絶対にあってはならないと思っている、

彼らがたとえ難しいことは考えずに笑ってくれと訴えたとしても、笑っちゃいけないときがある、生き様を売ることを生業としている人たちだからこそ、お金に変えてはいけないものがある、観客として、そこにつけ込んではいけないだろうと思う、そういう強い自制心がある、わりと普段から、そういう葛藤を抱えている、

なので、ジョーカー誕生秘話への期待というよりも、売れないコメディアンの描き方について興味があった、そんな下世話な期待を持った観客である私に、突き付けられるもの…あまりにも個人的なことなので、前評判はたぶんあんまり参考にはならない、どんなショッキングなことを突き付けられても受け止める、ずるずると先延ばしにしていたけれど、どうしても劇場で見ておきたくて、けっこう、かなり覚悟を持って足を運んだ、ので、

売れないコメディアンの、あの笑い方、あのジョーカーの特徴的な笑い方を、夢見る貧困層の男の疾患として描くのかと、やや肩透かしというか、なんとも、苦味があったな。。

観ているうちに、脈絡なく笑ってしまうわけではなく、泣きたいときにこそ笑いが漏れてしまう、そういう疾患、体質なのだとわかってくる、お前ら観客が期待してるような、コメディアンの矜恃で笑ってるわけじゃねえんだよ、悪徳に興じる快楽で高笑いしてるわけでもないんだよ、少なくとも、初めはそうだったんだよ、と、わかってくるのだけれど、

それは、突き付けられるというよりも。そうかあ、と。ただただ納得というか。

稀代のヴィラン、ジョーカーを同情すべきキャラクターとして描くのはどうなの、という気もしたけど、

そもそも、犯罪都市ゴッサムシティのヴィランはみんな精神病棟から逃げ出してきた奴ら、バットマンは彼らを捕まえては精神病棟へと送り返している、彼らは脱走を繰り返している、終わらないイタチゴッコ、その設定がもう、古臭いというか、倫理的にアウトなのでは?という気がしたよな。。

必要なのは適切な治療、適切な救済。ソッチをもっと考えるべきだよなって。もううんざりだよなって。そうだよなあって。納得が先にきたよな。。男に狂わされた女が男性医師により精神疾患と診断されて薬漬けにされて閉鎖病棟行きになって人生が詰む、現在進行形で起きていることでしょ。。映画『ハレークイン』には期待してるよ。

地下鉄のシーンは、怒りが湧くでもなく、スカッとするでもなく、ああ…ああー、あー…という感じ。明滅する明かりは美的だったけど、ドラマティックというわけではなく。翌日からも変わらぬ日々が続いていく、そうだろうなあと。麻痺したしんどさがずーっと。淡々と。

幼い娘を大切に育てているらしいシングルマザーの女、あの状況であんな軽率に見知らぬ男に声をかけるか? 明らかに同じアパートに住んでいて逃げ場のないエレベーターの中で娘を守らなきゃいけない状況で? そんなわけないって、キャラクターに似合わぬ軽率さだな、不自然だな、変なの、あのタイミングで彼を部屋に入れるかね? マジかよ、と思っていたのだけれど、

その後、ライブを観に来てくれたり、交流が続く様子を見ていて、まあ、そういうこともあるのかなあ、良かったね…と切り替えることができていたので、

全てはアーサーの妄想だったと判明する、ショックよりも、ああやっぱりね…が先にきてしまったので、いやショックだったけれども…淡々とずっとしんどかった、しんどさに麻痺していたので、ああ、そうかあ…そうなのかあ…と。

社会福祉士の彼女、悪いのは行政であって、彼女にはまた彼女なりの事情がある、と示したのはめちゃくちゃフェアだったと思う、でも、ああフェアで丁寧な描写だな、と、そういう感心が先立ってしまった印象で、

彼女に逆ギレして彼女に危害を加える、そういう短絡さのほうが、リアルで生々しく感じられたと思う、そう思うのは偏見なのだろうか。追い詰められた白人の男が逆上して黒人の女を襲う、そっちのほうがリアリティがあると感じる…だって大抵の事件はそういう"見えない"力関係のもとで起きていると思うよ、残念ながら。大抵の事件の被害者は女や子供や老人なわけでさ。。

女子供に理不尽な憎悪を向けないジョーカー、マイノリティを標的にしないジョーカー、そんなわけないと思った、同属嫌悪も手伝って、弱者はより弱者を標的にするのが常だと思う、怒りの矛先を社会に向けることもできない、方法がわからない、学もなければ志もない、仲間もいない、怒り方がわからない、そういう鬱屈の爆発のほうが、イマっぽかったと思う、呼びかけに呼応する者が誰もいない孤独、そっちのほうが、少なくとも日本に住む者ととしては実感に近いかな。。

自分はあのウェイン氏の恋人だったと信じている母親、自分はあのウェイン氏の息子なのかもしれないと一抹の期待を抱くアーサー、バットマンとジョーカーは異母兄弟だったかもしれない、そうなんだろうなあ、そういうこともあるだろうな、とストンと納得できた。べつにそれが真実かどうかなんて興味はないよ。設定がどうの、整合性がどうの、どうでもいいよ。

ただただ、アーサーに対して、人として適切な接し方をしなかった、彼らが、悪い…悪いと思うくらいいだろう。

もういいよ、もう、思いきりやっちまえよ、と思っていた。あー、そっちいく? そっちにいっちゃダメだよサスガに、とは思わなかったんだよな。。引いちゃうことはなかった、でも、ノレなかったんだよな、クライマックスにかけて、高揚感は全くなかった。なんでなんだろうな。。

ラストがスーパーマンvsバットマンの冒頭につながっていく、そこにオオーッとは思ったけど。狂乱に興じる彼らにはなにも感じなかった、自分もあれに混ざりたいとは思わなかった、引っ掛かりはそこかな。。アーサーもといジョーカーの行いに対して、快哉を叫び、ついていくのは所詮、ああいうバカをやる者たちだけ、という諦観、侘しさかな。。

徹底して、アーサーの被害者意識に同調させないつくりだったと思う。アーサーを見下す人々の顔をもっと醜く印象的に撮るとか、そういうことをしていなくて。

アジテートすることが目的ではない、そういう抑制の効いた作り方には好感が持てた、ちゃんとしてるなあ、と思えた、とても信頼できたんだけど、

映画の中でくらい、悪徳の限りを尽くす、やってはいけないことをやってのける、そういうカタルシスを感じさせてくれよ、という気はした、反撃の気持ち良さを感じたあとで、冷や水をぶっかけられるような、そういう体験をしたかった気がする…な。

『時計仕掛けのオレンジ』のようないわゆるカルト映画を見たかったわけじゃないんだけど。なんだろうなあ。

明石家さんまが"解釈違い"だと言った、ジョーカーはもっと底抜けに明るい、心から犯罪を楽しんでいる奴だ、そういう道化だ、それこそが道化だ、という指摘が頭にこびりついている。それは過度に理想化された道化なのでは、しかしそうその通り、ジョーカーには奇才、天才であってほしかった、だって恐らく世の中にはそういう人間も確かに存在するのだから、と思う。

でも、なけなしの金を握りしめて、数年ぶりに映画館に足を運んだ、そういう観客もたくさんいたんじゃないかと思う、そういう映画だったと思う、そういう観客に、どこまでも優しかったと思う、圧倒的に魅力的な悪など存在しない、悪に向けて背中を押さない、手近な悪に手を染めずギリギリのところで踏みとどまっている俺たち私たちの前に線を引いてくれた気がする…だから、これでいいんだろうな??

ロバート・デニーロがあのポジションで出演してくれたからこその説得力があったと思う。『タクシードライバー』の頃に比べて、哲学や文学、芸術映画の地位は下がり、なんとも陳腐化した、漫画のような世の中、アメコミ映画全盛期、という批評性も帯びていたように思う。良かった。

ドラマ『アトランタ』の印象が強いザジ・ビーツ、『デッドプール2』といい、良い役が続いていて嬉しい。彼女の主演作はいつか絶対に見たい、いま一番好きな女優のひとりかもしれない、彼女を通して描けるものの多さを思う、彼女が持つ人間的強さ…イメージへの信頼がある。今後が楽しみ。

ピーター・ディンクレイジ、と思ったら違った??あれ?? リー・ギル。良心としての役どころで。

身体的マイノリティが芸人稼業をやっている、マイノリティには優しいアーサーもとい新時代のジョーカー、そういう文脈の役どころで出演していることに、なんとも…苦みが。

金持ちが大統領をやっているアメリカの政治状況、誰の目にも明らかな格差社会、金持ちに期待するも、裏切られ…右派左派双方にある鬱憤なんだろうけど、でも、そこまで悲壮感が見えなかったのは、アーサーが白人男性だったからなのか、どうなんだろうな、わからんな、、わからん。

一人だけ笑いのツボが違う、悲しかったな。このジョーカーと恋に落ちるハーレイクイン、きっと共依存もマザコンも破滅願望も合意の上の納得ずくでふたりきりで笑いながら地獄まで突き進む、それこそが救いとなる境地、壮絶なラブロマンスとなる気がする、それはそれで見てみたい気がした。

さておき、ジャレッド・レトにはもう一度ジョーカーを演じて欲しいよ。
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