むーしゅ

ジョーカーのむーしゅのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
 「ダークナイト」の呪縛により中々踏み出せずにいましたが、意を決して観賞することに。説明するまでも無いですが、本作はDCコミックの人気シリーズ「バットマン」に登場する宿敵ジョーカーを題材とした作品です。

・バットマンが出てこないバットマン映画
 まず驚かされるのはバットマンシリーズであるにも関わらず、バットマンが登場しないこと。そう言うと語弊があり、正確にはバットマンが出てはいるけど気づきずらくなっています。そこまでして本来の主人公を追いやったのは、母と二人暮らしの心優しいアーサーがなぜ悪に染まり宿敵ジョーカーとなってしまうのかということを丁寧に表現したかったからですね。社会的弱者とも言える一人の人間が周囲の心ない行動により次第に人格を変えていく。スーパーパワーではなくて社会が彼をジョーカーにしていくんですね。いままでのジョーカーには無かった人間味が今回の作品の見所です。ちなみに本作のジョーカー誕生にまつわるストーリーは原作コミックで語られているものとは異なっており、新たな解釈でのジョーカーが誕生したことになります。

・ジョーカーをチャップリンに重ねる 
 さてジョーカーと言えばトランプですが、トランプのジョーカーは宮廷道化師をモデルとしています。宮廷道化師の仕事はもちろん主人である王を楽しませることですが、もう1つ重要な役割に主人を批判することがあります。王や貴族に対し誰も建言できない状況においても、唯一宮廷道化師だけは笑いの中に批判を織り交ぜることができたわけです。おや、この手法って・・・と考えて真っ先に浮かぶのはチャップリンですね。喜劇に社会風刺を持ち込んだと語られるチャップリンへの意識は作中に「モダン・タイムス」が登場することからも明らかですが、ジョーカーという悪の存在とチャップリンを重ねて語るところが面白いですね。途中映画館のシーンでアーサーはスクリーンを介してチャップリンと対峙することになりますが、それ以降は彼との距離がどんどん離れていき、最終的には暴徒の象徴的存在となってしまいます。この距離感が伝わってくるが故、アーサーに対してより一層同情心を掻き立てられ、物語に吸い込まれます。

・「パラサイト」にも共通する格差
 本作を象徴するシーンとしてジョーカーが階段を踊りながら降りてくるシーンがあります。これまで幾度となく肩を落としながら登ってきた階段を、ミュージカルのラストシーンを思わせるほどの歓喜の笑みを浮かべながら降りてくる。このシーンはまさに「パラサイト」と同様に格差を表現しており、このシーンこそが弱者の悲劇を強者の喜劇に変えた瞬間な訳です。正直ここでThat's Lifeを流して終わっても良いのではないかと思うほどで、下からのアングルによりそびえ立つ壁に見えていた階段が彼のためのステージに見えてきます。今後も映画界に残り何度も目にしていくことになる代表的シーンになることを予感させる場面ですね。ところでこういう特殊な役作りを有する役を演じると様々な賞の受賞がセットでついてくるようになってきましたが、本作の主人公アーサーを演じたJoaquin Phoenixもまた同じ。期待通りだけど期待以上ではないというか、もちろん素晴らしいんですけど、もはやある程度の演技力を持つ役者ならダイエットとセットにすればなんとかなるのではないかと思ってしまいます。そういう意味ではマレー・フランクリンを演じたRobert De Niroの哀れみを感じさせる目線の方が心捕まれたなと感じました。

 本作は前評判の通り非常に繊細で、また社会の格差問題へ警告を含んでおり素晴らしかったのです。ジョーカーの奇行に対しても人々が共感していく様を見て驚異を感じ「群衆」を思い出してしまいました。とはいえ、そんな驚異を感じさせるほどの作品であるが故、別に「バットマン」の枠、ジョーカーという人気キャラクターを使わなくてもよかったのではないでしょうか。ジョーカーはバットマンのアンチテーゼとして絶対的な悪として存在することに価値があり、「ダークナイト」や原作のジョーカーが好きであればあるほど、本作は見たくない「ジョーカー」となってしまう。そういう意味ではやはりバットマンあってのジョーカーだと認識させられる作品でした。 
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