20200903に書いたものを20241018改稿
この映画の主役はジョーカーだけれど、どこにでもいる道化の物語である。人は皆道化であり、それは太宰治の言うところでもある。太宰はそれをひとりの人間として描いたが、トッド・フィリップスは大勢の人間として描いた。彼らは無作為に暴れ、デモを街中で繰り広げる。太宰が個に、自己の内部に向かっていったのと比べて、である。
彼らは自己への戦いから目を背けて、外へと向かった。その弱さが笑みへと繋がり、暴動へとなる。
しかしながら、当の本人は病的で他のことなど関係ない。己の病に苦しみ、己の内部にある強さに立ち向かい、弱きを排する。これがジョーカーの正体だったのだ。それならば、周りの奴らは?あいつらはあいつらでジョーカーなのだ。
つまりは、ジョーカーとは、強さと弱さの対比されたものの尺度であって、彼らは並列だが比べられない。それぞれの強さと弱さがあるが、個を見つめればそれぞれの悩み(弱さ)が存在する。彼らの先頭にいるのがジョーカーであり、全体の強さの象徴として存在している。