大道幸之丞

アド・アストラの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

アド・アストラ(2019年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

非常に残念な映画だった。

見始めてまず強い既視感があった。
“英雄と言われた伝説の男が敵陣奥深く潜入したまま、どうやら自らの意志で帰還しない。どうも“異変”が起こったようだ。探索に行って欲しい”

──そう「地獄の黙示録」である。果たして調べると監督/脚本/製作を担ったジェームス・グレイは同作品から着想を得たとある。

そうなると期待は出来なくなる。なぜなら「地獄の黙示録」はコッポラ自ら「(ベトナム戦争を客観し出来ず咀嚼が充分ではないまま撮った事による)失敗作」と述べているからだ。

「地獄の黙示録」に「インターステラー」と「2001年宇宙の旅」の要素を中途半端にまぶした作品と捉えると合点がゆく

この映画の見所は相も変わらぬ人間世界と宇宙デティールに関してのリアリティだろう。しかし肝心のメッセージは共感を呼ばないし、むしろビッグネームを主役に据えた事から抱いた期待感が裏切られてしまう思いだ。

「哲学的」などと褒める必要はない。そのレベルにも到達していないと思う。

ここで「インターステラ−」「メッセージ」等に観られるSFの潮流だが、端的に言って欧米社会が(「メッセージ」の原作者テッド・チャンは中国系ではあるが)キリスト教圏の限界にもがいている姿と感じる。キリスト教では「宇宙」を説けない、というよりその概念がない。

翻って仏教国圏である我々日本人は仏教での「宇宙観」は人間の生命と同次元と説き切っているために宇宙の存在に必要以上に疑問を感じない。

先に挙げた2本は「時間軸」に拘りを見せているが結局説ききれず最後は観客へ結論を委ねるしか出来なかった。

本作品も結局は現在の世界を取り巻く右傾思想──とりわけ道義的に人種差別を排し寛容に国家社会を形成してきたが、個々人の心の底にある、容易に不満に繋げてしまう「人種差別」を克服できないで、それを口に出し行動にしてしまったカオスを宇宙に置き換えて描いていると言えばわかりやすいのかもしれない。

だから東洋人と西洋人ではこのあたりの映画に思想で共感できないとしても無理もない。

それは別な例で言えば「霊」の存在を常識的に受け止める習慣がある日本人が、「霊」の概念がない(キリスト教では死者は天に召されると説くため)西洋人がうろたえながら「シックスセンス」や「ヒアアフター」を描いてしまう事にも共通している。

余談だが火星基地には心を癒やす「リラックス・ルーム」が出てくるが、あれはどう考えても往年の名作SF「ソイレント・グリーン(1973)」に登場する公営安楽死施設=ホームのオマージュと思うのだが。