海

アド・アストラの海のレビュー・感想・評価

アド・アストラ(2019年製作の映画)
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職業柄、ごくたまにではあるけれど、黙々と仕事だけして誰とも話さないまま帰路に着くような日がある。先週もそういう日があった。帰りに映画を借りに行く日だった。帰宅ラッシュで混雑する幹線道路を三十分ほど走るあいだ、いつも右手に見えている海のことばかりを気にしてしまう。途中で右折のために流れを留めている対向車が見えて、パッシングをしたのが今日唯一の「会話」だったかもしれないなって思って笑った。TSUTAYAで隣のレジに居た女性が「このへん運転マナー最悪だわ平気で右折が優先だし駐車場の使い方おかしいしいつか事故るまで続けてみればいいわ」ってぶつぶつ言っていて、そうね確かに今日は二台分使ってる軽が居たねって返事したくなって、でも気づいた、わたしはそういうルール違反がたまらなく好きだった。当たり前のはずのことが、静かにそっと当たり前なんかじゃなくなってるのを見るのが好きだった。空を飛んでいる飛行機に誰が乗っているのか考えるのが好きだった。なぜ人はこんなに簡単に独りぼっちになれるんだろうか。なぜ人は戦うんだろうか。なぜ人は与えられた仕事をこなさねばならないんだろうか。なぜ人は肯定と否定の調和あるいは不調和を物語と呼ぶんだろうか。あなたが怒らないことに対してわたしが勝手に腹を立てることや、あなたが悲観しないことに対してわたしが勝手に涙を流すことが、どんなに身勝手で自己満足的なことか分かっていてもやってしまうのは当たり前のこと?当たり前じゃないこと?わたしは自分をどんなときに叱り、慰めてやればいいのか分からない。「なぜ」に答えを出せぬまま続く言葉はきっと怒りだ。静かであろうとも怒りだ。怒りであろうものがこんなに静かでいいのか、わたしは自分以外の何もかもの重みにいつだって潰されてしまいそうなのに、本当に潰されてみることはできない。残酷な運命というものは、悪行を積んできた人間じゃなく、美しいものがどんなものか知っている人間に訪れるんだと思う。頭を撫でるためには手のひらと運動を使う、そこに神さまは関与しない。居るのはわたしだ、あなただ、万物だ。あるときは魂と呼ばれるわたしたちの身体の細胞。触れられないからさびしかった。触れられるからさびしかった。離れゆく夢を見た子供は抱きしめられながら泣く。あなたと出会いながらわたしは、いつか別れる夢ばかりを思っていた。夢が見るものでなく描くものになるのは悲しい、傷一つないテープでも重ね続ければ曇った日の空みたいにぼやけていき、昨日考えていたことの続きを多くの人は明日諦める。どうか辞めたくはない。思うこと、考えること、表すこと、見つめること。難しい言葉を覚えるために、簡単な言葉を棄てることだけは、したくない。過ぎ去ったものの中にしかあなたが居ないというのなら、わたしは過去に未来と名付けたい。そのためにあなたが泣いてくれるとき、わたしはそれを勝手なことだとは思わないだろう、いつも触れられていた身体で、いつか、触れたいと思うよ。
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