見切り発車

詩人の見切り発車のネタバレレビュー・内容・結末

詩人(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

人は一生に一人の人と一つの場所さえ覚えていればいい。本当にそうなら、李五は幸せ者だったろう。彼は最後まで陳慧に想いを馳せ、彼女と暮らした日々の記憶に取り憑かれたまま死んだのだから。

女は男の夢を叶えるために尽くしたが、そのことが二人を引き離してしまった。一人の男を愛することに人生を費やした女と、一人の女と暮らした過去に縛られる男。息子に対するように夫を愛する妻の愛情は、時に過保護で狂気にさえ思えてくる。男をダメにするタイプ、炭坑村のファムファタール。

二人が別れてからも、男の生活には女と暮らした日々の記憶がつきまとう。それは身体的な記憶だ。太陽の光を浴びれば女の匂いを思い出し、他の女を抱こうとすれば、無意識にズボンの裾に手が伸び、妻が毛糸のズボンを穿いていたときにそうしていたように、綻んだ糸を解き手繰り寄せようとする。その度に男は記憶の迷宮に入り込み、抜け出すことができない。だからといって、妻の近況を知るチャンスがあっても積極的に聞こうとせず、二人が再会を果たすことはない。男が愛しているのは記憶に住む妻なのだろう。実在しているようでしていない愛情の対象。人は存在する事物を愛するのではなくて、事物から呼び覚まされる身体的な記憶、感覚を愛してしまうのかもしれない。

圧力鍋で作ったスープを飲んで一言、土鍋なら良かったのにと。時代の流れ、暮らしの変化。もう誰も詩を読まなくなった、という台詞にあるように、詩を書く詩人は時代に取り残された事物の象徴だ。取り壊されるかつての炭坑村とともに、男もまた土に還る。
見切り発車

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