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メランコリックのCookieMonsterのレビュー・感想・評価

メランコリック(2018年製作の映画)
4.0
東大を卒業したフリーターが女の子との偶然の出逢いから働くことになる銭湯では日夜人殺しが行われていて、好奇心からそれを知ってしまった主人公もその手伝いに巻き込まれていくサスペンスのようでいて、ブラックなコメディ

主人公の鍋岡は透明人間だ
階段で掃除をしている登場シーンから、彼は他者から認知されることがない
偶然働くことになる銭湯の番台はそんな彼にうってつけの仕事だとも言える
本作は受動的な生き方をしてきた透明人間の鍋岡が、他者に認識され、主体性を獲得するまでの物語になっている

鍋岡の行動パターンは受動的で、母にお湯を抜かれたが為に銭湯に行き、銭湯で出会った女の子に誘われ同窓会へ行き、女の子に言われるままに銭湯で働き始める
大学を卒業してから流されるように生きてきた彼が、好奇心に突き動かされた結果、殺人の現場に遭遇してしまうことですべては変わっていく
キッカケはすべて副島さんだ
透明人間だった彼は彼女によって見出される
一つの出会いがすべてを変えるという意味で、彼はとても幸運だ

鍋岡や松本にとって人生には目的がない
楽しみもない
ただ、いま、がある
だから鍋岡は突如として降って湧いたような人殺し現場の掃除という仕事に自分だけの目的みたいなものを見出してワクワクしたし、松本に嫉妬もした
ふたりが人生の無意味性を確認し合う居酒屋のシーンは、だから象徴的だ
あそこには、"愛がなんだ"の「幸せになりたいっすね」に通じるものがあって、明確に求めるものはわからないけれど、幸せという正体のわからないものは欲しい

鍋岡と松本は銭湯に自分たちの居場所みたいなものを見出している
だから田中を殺すという選択は自分たちの居場所を確保する為の、生き延びる為の手段だ
いままで流されて生きてきた2人にとって、それは大きな決断で主体的な行為だ
それを裏切った東を鍋岡は許すことができなかったけど、搾取される東にとってその構造も含めてそこは居場所になっていたのかもしれない
考えれば、あそこにいる人間たちはみな、そして私たちもまた、流されるままに生きているのだ

銭湯で働くことになってから鍋岡は様々な選択を強いられる
手伝いをすること、副島さんと付き合うこと、田中の殺しを手伝うこと、副島さんと別れること、東さんを殺すこと
鍋岡は最終的に銭湯のオーナーにならず、雇われ店長として勤めることを選択する
彼はただ居場所が欲しかっただけだし、それが示せる精一杯の主体性だったに違いない
鍋岡のラストの台詞に象徴されるように、その幸せは瞬間的なもので、ラスト4人が語り合っている時間も刹那的な幸せで、松の湯に未来などないのだろう
人生に意味を見出すことができないとしても、そんな人たちにこの物語はそっと肯いてくれる

人生の無意味さを象徴するように、本作では細かい背景は説明されない
何故東大を出て停職につかないのか、何故副島さんは鍋岡を好きになったのか、人殺しをやっている理由、その人たちが殺される理由
それらはすべて謎のままだ
けれど、番台を隔て、鍋岡と副島は隠し事を打ち明け合う
とても些末で、個人的な
そしてその小さな事柄が、人生にとって大きな意味を持つものなので、だからこそ私はこの物語がとても好きなのだと思う
人生はきっと鍋岡の父と母が囲む、日々の食事を愛おしむくらいの記憶の積み重ねなのだ
そしてうどんに価値を見出した松本のように、そんな記憶を大事にして明日を生きるしかないのだ
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