なべ

ハイ・ライフのなべのレビュー・感想・評価

ハイ・ライフ(2018年製作の映画)
2.5
 クレール・ドニの信者には悪いが、“ソラリスをつくろうとして己の中がもはや空っぽだとバレてしまった老婆の失敗作”というのがぼくの印象。
 開始5分で彼女の独りよがり映画だと気づいた。伝えようという気がなさすぎるよ。かといって監督の意図を汲み取ろうって気にもならない。だってかったるいんだもん。
 なんていうか、SFって空想の世界なわけで、だからこそ説得力のあるディテールやリアルさが不可欠でしょ。でもそこがあまりにスカスカだと、その世界で起こる出来事がただの絵空事に見えてしまう。説得力のない事実の羅列に。
 例えば冒頭、宇宙空間に放出される遺体が下に落ちていくシーンがあるけど、後に浮遊している絵もあるから、監督自身には落下と浮遊を描き分ける明確な論理があるに違いない。でも、それらしい説明はないんだよな。ぼくが見逃してるだけ? フランスの老婆が抱く観念的表現として見れば腑に落ちるのかもしれないが、残念ながらぼくには彼女のセンスがよくわからない。
 唯一掴み取れたのは、劇中でモンテがウィローに言う「小便や大便を浄化した水は飲むな」って台詞。排泄物を食するのはタブーであると。赤ん坊相手にどんだけいうねん!ってくらい繰り返される「タブー」ってワード。ほとんど寝そうになってたけど、これにはさすがに気づいて、なるほど、そう言われれば確かに、乗組員の性欲をコントロールするのも、同意のない妊娠も、出産もタブーだらけだったなと。
 どうやらクレール・ドゥニは生殖にまつわる禁忌を描きたかったようだ。いや、これじゃわからんて。だいたいダラダラし過ぎて情報の開示が遅過ぎるのよ。説明下手なのに出し惜しみしてどうする⁉︎
 おそらく、次々に繰り出される生殖タブーを通じて、観客に不快感を抱かせ、性のモラルをかき乱したかったのだろうけど、悲しいかな年老いたクレール・ドゥニにはタルコフスキーのように心当たりのない共感を呼び起こしたり、思いがけない同調を促すほどの力強さがない(ファンの方、ほんとごめん)。彼女を空っぽと言ったのはそういう理由だ。
 観客を不快にさせたいのに、そうするだけのエネルギーがないし、思い入れがそもそも的外れな気がする。ぶっちゃけ耄碌したなというのが率直な気持ち。

 例えば、ジュリエット・ビノシュが、眠っているロバート・パティンソンにまたがって射精させ、自らの膣内から取り出した精液を眠るミア・ゴスの子宮に注入するシーンがある。
 こうやってテキストにするとかなりえげつないが、実際に観てみるとそれほどエグくないんだよね。ダメじゃん、テキストより弱い映像じゃ。

 ラスト、ブラックホールに到達したモンテは漆黒の闇の向こうに薄明るい地平(のような光)を見る。どことなく子宮の内側から見たアウタースペースのようなあかり。ああ、これは出産のイメージかと気づく。まあそれまで散々生殖のタブーを扱ってきたんだから、フィナーレはやっぱり近親相姦だわな。父と娘が生き残ったのはこのためだったかと納得はするものの、それによって得られるものが何なのか結局よくわからない。まさか現代の計画妊娠や人工授精、代理出産を近親相姦と同じおぞましさだと言いたいのか? もしそうだとしたら生殖を神聖視する極右映画ってことになるが、いや、まさかね。
 そうは思いたくないので、著しく倫理観を欠いた不快なシチュエーション下で考える生と死か、あるいはインモラルな性で輪廻する生とか? 2019年宇宙の生殖タブーか。
 最後に親子で一緒に死に乗り出す姿が妙に潔くて、果たしてこの気持ちは監督の意図に沿ったものなのか?と妙に気を揉む作品だった。2人がブラックホールの向こう側(別の宇宙)でアダムとイブになるのだとしたら、まあ合ってるのか。
 実はロードショーで観たかったのだが、他の作品を優先してるうちにスケジュールから漏れてしまった作品。クレール・ドニが高齢なこともあり、つまらないかもしれないって予感はあったが、予想を上回るつまらなさだった。つまらない上に退屈だったと付け加えておこう。ミア・ゴスに0.5おまけ。
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