Norika

さよなら、退屈なレオニーのNorikaのネタバレレビュー・内容・結末

さよなら、退屈なレオニー(2018年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

06/19/2019

Wow....これは人は善か悪かではっきり分けられないことを知った女の子のお話。。。

父を信じ、世界の「悪」のせいで「善」である父が追いやられたと思っているレオニー。もちろんこの「悪」にはレオニーの代父や母が筆頭に含まれていて、端的に言えばこの社会全体にレオニーは怒ってる。だからスティーブに会うまでレオニーはずっとしかめつら。


最初私は、「善」だけだと思っていた父が北に追いやられたことからレオニーが自ら強く振舞うことで傷つくのを防いでいるのかなと思った。そしてなんらかの形でその壁がなくなっていく話なのかなと思っていた。


もちろんそれもあっただろうけれど、この話にはもっと強い軸のようなものがある。
レオニーが真実を知ってからの話の進み方がこの作品を更に素晴らしいものにしていた。ポールの「お父さんは善の代表みたいな人でも、天使ではないんだ」という言葉が全てを表していたと思う。

両親も人間なんだということに気づいた瞬間人は大人になるというのは本当だと思う。早くても遅くてもそれはどこか子供を不安にさせるしペインフルだったりする。両親に対してある種「信仰」をもっていると思うから。もちろん、そんなことあるわけないわ、と思う人がいるのも知ってる。だからこそ、この両親に対する「信仰」的なものを社会的に促進することで傷を開かれたような思いをする人がいることを忘れてはいけない。

anyway, レオニーはスティーブに父の要素をみていた。つまり父のような「only 善」の要素をみていた。だからこそ、レオニー
は父の真実を知ったとき、何も信じられなくなってスティーブに当たってしまったのだろう。

でも最後バスに乗って行ったとき、最初とは違ってあれは「逃げ」ではなく世界への一歩であり、「自由に走り出す」ための乗車だったのだと思う。

ミュージックビデオのようなカメラの使い方があった。

あとひとつ、レオニーの服装が気になった。正直、絶妙にダサい。”Flower” の Zoey のような服でもよかった気がする。


面白かったのは、レオニーが「一服」と言ってタバコではなくロリポップをなめにダイナーの外へ行くところ。

レオニーの学校の机が高くて、レオニーが小さく子供にみえたのは、意図的なのかしら?

ともかく、「父の真実」が表れてからこの作品は一気に深みを増した。これはレオニーが「他者」「世界」と「自分」が手を取り合っていくことに関して自由とともに一歩を踏み出す、そんな物語だった。
Norika

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