天馬トビオ

伊豆の踊子の天馬トビオのレビュー・感想・評価

伊豆の踊子(1963年製作の映画)
3.0
西河克己は生涯に2本の『伊豆の踊子』を撮っている。1本が吉永小百合・高橋英樹版の本作(1963年)で、もう1本が1974年の山口百恵・三浦友和版。

本作評価のポイントにモノクロのプロローグとエピローグの存在が挙げられる。現代(製作時)に転生した踊り子と学生の二人の幸福の予兆と、戦争の時代を生き抜いて学問に打ち込み晩年を迎えようとしている老大学教授(かつての旅の学生)の姿を描いたこの部分、ぼくはあってよかったと思っている。ゆえなく差別されていた旅芸人、酌婦、娼婦、女中らの、差別の重層化と言ってもいい負の連鎖が断ち切られる希望が、ここに集約されていると思うがいかがだろうか。

踊り子を演じる吉永小百合のすべてがいい。五目並びに勝って無邪気に喜ぶ姿。活動に連れて行ってとせがみ、講談本の続きを読んでとせがむ真っすぐな視線。村の子どもと遊ぶ天真爛漫さ。自分に似た境遇の女性に寄せる憐憫と嫌悪のまなざし。健気さ、明るさ。初恋にも失恋にもひたむきで一生懸命。そんな踊り子だからこそ、ごく近い将来、来年か再来年には人夫頭に手にかかる暗示が悲しい……。

もう一人、踊り子の兄の大坂志郎がいい。一つ間違えれば卑屈になってしまいかねない丁寧で礼儀正しい物腰で、落魄した旅芸人を見事に演じきっている。

天城トンネルの闇を高下駄で駆け抜ける高橋英樹。トンネルの先には、現実の悩み、苦しみの世界から生まれ変わる新たな世界が待っている。そして、そのはるか先に、プロローグとエピローグで描かれた世界が待っているのだろう。
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