アラサーちゃん

運び屋のアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
3.5
クリント・イーストウッドがスクリーンのなかにいてくれることに拍手。


実話を元にしたお話だということで、どこまでが事実でどこからがフィクションなのかよく知らないままレビューするのでぺらっぺらな文章になりますけど、いかにもイーストウッドが惹かれそうな話だなあと思いました。


まあとにかく主人公のアールが魅力的。冗談がお上手で女好き。そのくせ物事の本質を見抜く力が長けている。

相手に「ジェームス・スチュアートのマネしてるの?」なんて言われるシーンが多いところにも、アールの人好きする性格がよく顕れていると思います。
(品評会で囲まれて言われていたときは単に「素晴らしき哉、人生!」の大恐慌の取り付け騒ぎに準えたのかと思ったけれど、よくよく考えると、「アメリカの良心」であるジェームス・スチュアートという個人を充てて、アールの人柄を如実に喩える素晴らしいセリフですね)


どんな楽しいロードムービーを見せられているのかと錯覚するような前半もよかったですが、やっぱりこの人の作品は、人間を美しく丁寧に映し出す後半が素晴らしかったです。

もう戻れない時間に想いを馳せること。自分が今まで気付かなかった家族への愛。相手を想うという当たり前の情。

ハラハラするクライムかと思いきや、お気楽ロードムービーかと思いきや、まさかのイーストウッド節を突然、落としこんでくる。でも、それが唐突でも違和感でもなんでもなくて、本当にごく自然に。青を貴重としたあのヒューマニズム溢れるくだりにまんまとやられてしまいました。
別れた奥さんの寝室のシーンは、もうなにもかも言うことなしに素晴らしかったです。

娘役には実の娘のアリシア・イーストウッドを迎えていて、ああ、この映画は、これまでの人生を映画に費やしてきた自身を主人公アールに投影させた、公式謝罪のような作品なのねと納得。

でもね、思うんですけど、アールは90歳になってやっとその大切さにはじめて気付いた訳ではないと思うんですよ。
娘の結婚式のさなかに行きつけのバーで自身の祝賀をこじんまりと行っていたシーン。見知らぬカップルの結婚祝いを目にして、伏し目がちなアールの横顔のカットがありました。
あのシーンから、アールが周囲に見せてこなかった、或いは自身も気付いていなかったであろう情みたいなものが、滲み出ているように思います。

ところで、彼の横顔のカットはとても重要な気がします。運転中はもちろん横顔ですが(ネタバレになってしまいますが)最後、車のなかで逆光を浴びて暗く表情が見えないんですね。あのシーンもなかなかグッと来ました。
(ただ、相手役がブラッドリー・クーパーなのがな。好きだけど、やっぱりこの役は似合わないかなー)


それにしても、「ニグロ」だとか他にもいろいろ(忘れた)人種差別用語のオンパレードでしたが、アールのその言葉には愛があって、まあ、人種差別ダメゼッタイ、を提唱しながら、いまの行きすぎた差別・偏見へのセンシティブな考え方、逆差別への警鐘を鳴らしているようにも見えました。(逆差別が社会に広がっているかどうかという点においては、あくまで個人的な見解です)


イーストウッドはやっぱり若者好きですね。とくにはみ出しものな若い人たち。絶対悪くしないもの。これってすごいこと。極悪非道の悪者はどんな設定を加えても極悪非道にしかならないのに、情け容赦ないグスタボの手下すら「ほう」と思わせるように描く。

とくにフリオの描きかたに愛があって好きだなあ。孫娘ジニーの他に、アールが将来や生き方を案じているのは彼だけでした。

昨日、レビューした「マチルド~」に被るような解釈になって申し訳ないんだけど、まだアールを目の敵にしていたフリオが、アールの気まぐれに耐えかねてラトンに電話するシーン。交互に写し出されるラトンにもフリオにも青いライトとオレンジのライトの境界線があるのが、次第に青いライトが画面のほとんどを占めるようになります。
これ、観ていたとき「あれ?」と思って。ラトンもフリオも危険人物にしか思えないのに、オレンジの割合が減っていく。アールにとって彼らが安全な人物だとはとうてい思えなくて。あのシーンはすごく気になったんですが、観ていくうちになるほどって思いました。


他にも意味深で気になるシーンはいくつかあったんだけど、まだ頭のなかでゆっくり意味を考えながら咀嚼しているところです。
あとは、おなじみの車のミラー演出は文句なしに緊張感高めてくれましたし、基本的にトラッキングのショットが多い(ような気がする)んですが、エンドロール前の花壇のフィックスショットもとてもよかったです。