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運び屋のninjiroのレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
4.0
需要があるから供給がある。求められれば西へ東へ南へ北へと忙しく、使い古された鎧を載せた馬に、ボロボロのクライスラーのセダンに、派手な色のキャデラックに、黒いピックアップトラックに乗り、金は第一の目的ではなかったにせよ、その結果転がり込んでくる大枚は入ってきたついでに天に向けて放り上げる訳でもなく、ちゃんとそれなりに意味を見つけて誰かの為にと使い続けた。こう言って仕舞えば大層虚しく聞こえるかも知れないが、金なんていうものは自分が自分以外の誰かに想いを託す為のチケットだ。もし上手く受け渡しが出来ないようなら、幾ら無駄に手元に残ったとて、それに大した意味はない。
年がら年中旅に出て、顧みられることのない家庭、かつて昔話には聞いたことはあったけど家族で行った旅行なんて全く記憶にない。運動会、授業参観、どんなに気持ちを裏切られた時も、テレビをつけてダーティハリーの格好良さに溜飲を下げて、何にも頼らず何かを押し殺すように常に眩しそうに歪む彼の顔の裏に潜む感情へ想いを馳せた。私にとって普段は交流のない実の父親の代わりになってくれた、大好きな映画の中のヒーローだった。外で認められる方がずっと大事だと思った、家での俺は役立たずだから。そんなシンプルな一言が、イーストウッドの口から語られることの意味。
犯した誤りが積層をなすような人生だからこそ、その人誤りの人生に言い訳を重ねず、認識し続けた者だからこそ、彼の人生は分厚く、誰かに伝える意味がある。過ちを供給し続けた男、彼は自分の墓標にまで刻むのだろうか。許されざる者、クリント・イーストウッド。その精根の尽き果てるまで映画を、柔らかな花のように慈しみ、育て続ける。彼の贖罪に許しを齎すのは見も知らぬ神の手ではなく、何時迄も映画を、彼を愛し、幸運にも彼の人生の一部と共に生きることの出来た、他ならぬ私たちだ。
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