いののん

運び屋のいののんのレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
4.1
「俺のようになるな」と言いつつ、実は、「俺のように生きろ!」と言っている映画(のような気がする)


イーストウッドはきっと四六時中、映画のことを考えてなくても考えてる。90歳の爺が運び屋やってたと聞けば、すぐにアンテナに引っかかったはず。
“よしっ、それいただきっ”
“映画の題材としていけるっ!”
“わいの齢にぴったりんこ!”
“わいが演れるもんねー”
“誰よりもわかっとるわいが演じるのがいちばん!”


そんな、仕事(例:映画づくり)大好き人間がいるからこそ、その恩恵にあずかって、私は映画を観ている。有難いことです。家族第一の人間ばっかだったら、おもろないわい!イーストウッドさま、お願いです!いついつまでも生きて映画つくってください!


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俺のようにはなるな、とイーストウッドが言う。それが最高に格好いい。窮屈なルールのもとで生きている、せせこましい若年の者に対して。そして、映画を観ている私たちに対して。めちゃんこ響く言葉だ。イーストウッドは、麻薬関係をなりわいとしている強面の兄ちゃんたちにもひるまない。麻薬カルテルのボスに対しても堂々としている。無理してじゃなくて、あたりまえの振る舞いとして。余裕ありまくりだ。さすが、退役軍人で肝が据わってる。数々の修羅場をくぐり抜けてきたであろう男が口にする、言葉の重さ。あの、イーストウッドが、俺のように生きるな、と言うのだ。それはとても心に響く。(「賞金稼ぎ」の台詞はファンへのサービス)


だけどこれは、俺のように生きろ!、と言っているようにも感じる。表裏一体だ。俺のように生きるな!は、俺のように生きろ!だ。お花は、仕事の象徴。この世界が、家族第一の男ばかりだったら、面白くもなんともない。そんな男ばかりだったら、果たして良い映画なんて出来るのか。できないに決まっとる。何かを犠牲にしたからこそ、なあんて精神論語るのはくだらないかもしれへんけど、でも、他のものはいらないから神様せめてこの映画だけは完成させてください、完成するまではどうか命を絶えさせないでください、そんな狂おしいほどの物作りの成果、というのはやっぱりあるのだろうと思う。ワーク・ライフ・バランスなんてクソ食らえ!人生にバランスなんて不要じゃあ!あれっ、話がおかしくなっちゃった。

そんな男が、最後にほしがるものは家族だ。もう十分いろんなものを手に入れてきたのに。そんな、何もかもを手に入れようとするなんて。ずるい。やせ我慢してほしいのに。それとも、年を重ねたら、やせ我慢なんてしないで、自分の心に素直になれるのかな。そうだったら、年をとるのも悪くない。


私がおばあちゃんになって、さいごを迎える時にはせめて、意地を張るのはやめたいと思う。最愛の人が訪れてくれたら、かわいらしく素直によろこぶおばあちゃんになりたいと思いました。そのくらいの可愛らしさはもっていたいなあと。ダイアン・ウィーストさん、可愛かったです。
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