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アートのお値段の3110133のレビュー・感想・評価

アートのお値段(2018年製作の映画)
2.6
いくつかの落ち度を前提とした上で観る分には。そうでないとアートに対しての偏見を助長しかねない。

サザビーズの現代アートのオークション開催までの過程を経糸に、それに関わるオークショナー、コレクターや批評家やアーティストの取材を緯糸に構成されている。
クーンズやリヒターといった露出が多いアーティストだけでなく、名前とその影響力は知っていたものの映像では見たことがなかった(それは私の不勉強ゆえかもしれないが)ステファン・エドリス、ゲール・ニーソン夫妻やジェフリー・ダイチらのインタビューは、ミーハー心をくすぐられた。またところどころで引用されるかつてのアーティストたちのフィルムもドキドキさせられた。
が、全体としてはアート市場をモチーフにしたドキュメンタリーで、これ自体が芸術作品ではないのでこの点数。変に「芸術的に」装飾、演出していないので、そこには好感をもった。
構成としては淡々と進んでゆき、少し退屈な印象も受けた。

それでも映像言語による修辞学によって語られているものとして、ステファン・エドリスとラリー・プーンズという二人の老人、間もなくアート・ワールドから立ち去ってゆくであろう二人への、愛と敬意のまなざしが感じられた。
この二人は立場も思想も全く異なるが、彼らの残したそれぞれの遺産が、これからの歴史をどのように通過していくのか、そのことに思いを馳せられる。
エドリスのコレクションは美術館に寄贈され、パブリックの下で、それら作品たちが果たしてこれからどのように価値づけられてゆくのか、あるいは薄暗い収蔵庫で忘れ去られていくのだろうか。
一度は忘れ去られ、年老いた今「再発見」されたプーンズの新作はこれからどのようにマーケットで値を付け、あるいはパブリックにおいて守られてゆくのか。
彼らへの愛と敬意のまなざしは、監督の意図だろうか。単なるアート市場をネタにしたドキュメンタリー以上の内容は、ここにあるなと感じた。

美大の学部1年生やアートに関心のある人々は見ておいてよい映画だろう。
が、以下の点を前提としておかないと、アート市場に対してちょっと勘違いしてしまいかねないので、これはこの映画の主題としては落ち度だろうと思う。
一つは、この映画で扱われているサザビーズのオークションは「セカンダリー・マーケット」だということ。アーティストが直接関わり、インカムとなるのは「プライマリー・マーケット」なのであって、セカンダリーのオークションとアーティストの齟齬や距離があるのは当たり前。
クーンズといった一部の投資迎合型のアーティストを除けば、多くのアーティストの動機はマーケットあるいは金銭と相容れないと思わせるミスリードをさそう。生活と制作を続けるためにいかにマネタイズするかは、作家にとってつねに重要な事柄だろう。多くの作家はプライマリーで必死に活動している。
また、マネタイズの方法は決して作品を商品価値に転化するばかりではない。いろいろな方法はあって、資本主義社会においても市場で「成功」せずとも優れたアーティストでいつづけている人はいくらでもいる。それはお金に無頓着とイコールではない。(それは芸術に限らずとも指摘できる。大学の人文科学系の多くの教授陣が著書の印税で生活していないのと同じ。新書ばかり出している人の方がどうかと思うし。)芸大の教授でも、売れない形態の作品を一切の持出しなしで制作する方はいる。
そもそも、プライマリーにおけるアーティストとギャラリストやキュレーター、コレクターや批評家たちの協力や努力があってこそのセカンダリーなわけで。市場を描くならそこは無視できないはず。
デ・クーニングだったかの映像やプーンズの個展やクロスビーのくだりで少しの目配せはあったが、アート市場がテーマであるならばプライマリーももっと扱っても良かったのでは?
サザビーズでクロスビーの作品が90万ドルだったかで落札されても、彼女の手元には一銭も入らない。この値付けを受けてプライマリーの値段は上がるかもしれないが、今度はそれによって買い手が付かなくなるというリスクもあるわけで、またプライマリーの値段はそうそう下げられないしで、決して喜ばしいわけではない。
その危機を乗り越えていくには、彼女のパートナーのギャラリストの手腕にかかってもいるわけだけど、その辺もう少し触れてもよかった。(あなたは淡々と制作を続けることが大切よって、それはそうだろうけど、それだけじゃ解決されないことがある。)
そこには彼女の作品への批評や哲学的言及も必要になるわけで、オークショナーやコレクターの主観的な感想や、クーンズの詐欺師の「哲学的な」言葉遊びによって、作品の内容に対する解釈や批評が成立しているわけではないだろう。(リヒターの作品に対するオークショナーのカペラッツォのロマン主義的解釈に基づいた感想は、笑えないどころかドン引き。)
登場する批評家もオークションでの高騰に対しての批判ばかりで、作品そのものや、オークションでは扱われない作品への重要なプレーヤーであることは映されていない。

こんにちのアート・ワールドがキュレーターの力が非常に強いことは批判の的にもなっているが、この映画ではその片鱗すら映されていないのは、ちょっと落ち度としか言いようがない。キュレーターは二人登場するが、こんにちの芸術におけるキュレーターの立場とはほど遠くいということは、二つめとして理解しておく必要がある。オークションがそれだけキュレーターの力が支配的であるこんにちのアート・ワールドとは距離があり、蛸壺化しているのだろう。

三つめに、マーケットとは距離を取る、一線を画すアーティストや作品は一切触れられていないということ。(アイウェイウェイはちらっと映ったけど、不十分でしょ。有名所だったらボルタンスキーやボイスやカバコフとか少しは触れてもよいのでは?)
「The price」がテーマだから価格と関わらないアートは視界の外なのかもしれないが、観る側としてはそのことを理解しておく必要はあるだろう。アート・マーケットがアート・ワールドの全てでは決してない。
先にも少し触れたが、マーケット以外でいかにマネタイズするかということも、作品のpriceのひとつのあり方も含まれている。例えば、作品は全く売れる形ではないけれど、その展示を「すること」にお金を支払うコレクターや美術館や財団だってあるわけで。

映画の冒頭にて、市場で高値をつけることで作品を守るといった趣旨のことが語られるが、いやいや、作品を守る手段はそれだけではないだろう。アーカイブや言説を残すことでも作品の価値は守られてゆく。たとえ作品としてはその場で消え去ったとしても、多くの人々や美術史家や哲学者が語り続けていくことでその価値は守り続けられる。
芸術作品は「物」として残したりマーケットで流通する形態のものだけでは全くない。この映画は商品価値を持つ芸術作品にフォーカスすることで「わかりやすい」が、その結果、芸術(とその価値)をより分かり難くもしている。

最後に、コレクターはプライベートに属していて、パブリックな美術館と簡単に対比されすぎているという点。いまのパブリックな美術館もかつては王侯貴族のプライベートコレクションが基になっているものがほとんどだし、近年でもプンタ・デラ・ドガーナのピノーのコレクションやグッゲンハイム・コレクションといったように、プライベートなコレクターのコレクションを財団運営の美術館という形でパブリックに開かれているものだっていくらでもある。
美術館が真にパブリックになり得るかどうかは、単に「無料」で見ることができるかどうかではなく、無論それを前提としたうえで、それに触れることやその価値をどれだけパブリックなレベルで論じ価値づけられるかということにあるだろう。つまり、なぜその作品がそこにあり、それを見ることが「公共的」なのかという議論が必要。ただ趣味の問題に終始していては無料かどうかは大した意味を持たない。芸術が情操教育的に価値があるとかといった啓蒙主義的なことではないということ。公共が不和を内包した政治によって成立しているというレベルで美術館の価値を考えなければならない。プライベートなコレクションが、例え無料で公開されていたとしても、この意味での公共性を背負っていないという意味で差異があるだろう。プライベートであれば、どのような内容のコレクションでも、特定の人にだけ公開していても問題はない。
公共の美術館が無料で観れるということだけで議論すべきではない。とはいっても、この国の公的な美術館の入館料はどうかと思うけれど。(それに企画展ばかりを目玉とする商業主義に走っているのもどうなのだろう。大切なのはコレクションの常設展とコレクションで行なう企画ではないのだろうか。海外から大金はたいて有名所を借りてきて、高い入場料をとって、入場者数は世界でも上位で、それでも黒字化できなでいるって、なんか間違ってやいないだろうか。)
経済的要素が政治に簡単に介入するのはできる限り避けなければ社会は流動化せずに老衰してしまう。

加えて、オークションが美術館において問題となるのは、美術館側が手も足も出ないほどオークションによって値段が高騰してしまうということ。それに対抗するために美術館も収蔵だけでなく自らコレクションをオークションに流さざるを得なくなるのが問題だろう。
例え霊安室のような保管庫であったとしても、半永久的に作品を守るという美術館の役割は果たされなくなってしまう。数年前にこの国でも文化庁が意向を発表して問題となっていたけれど。美術館での収蔵がオークションに流すことを前提となれば、美術館はマーケットと密約した、作品の箔付け機関となるだろう。転じて美術館の地位は地に落ちる。

といったことを前提にして、またそれらを議論する上で鑑賞するととってもいいなと感じた。

文章がヤケに長くなってしまった。これは別に病んでいるからとかというわけではなく、最近まとまった分量の文章をずっと書いていて、それが一段落ついたことが要因。

ともかくエドリスの達観した視点に立ったコレクターとしてのかっこ良さと、プーンズのバイクでの滑走シーンはとても良かった!
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