Ginny

映画ドラえもん のび太の月面探査記のGinnyのレビュー・感想・評価

3.5
泣けた。

ドラえもんの映画を映画館に見に行ったことは今までなく、これが初めてとなりました。足を運んだ理由は明確にただ一つ。脚本が大好きな作家、辻村深月先生だから。

映画館に足を運んだことはなかったといっても、小学生のときは毎週金曜日はドラえもんとクレヨンしんちゃんを見ていたわけですし。
映画もテレビでやったものを見ていました。
幼かった私はとにかく不安で怖がりで。映画の中のアクシンデントで、ドラえもんの目が△や☆になって一時的にいかれてしまったシーンがとにかく不安で不安で心細くて怖くなってしまい、あまり数を見ることができませんでした。

そんな私も、もう大人なので、きちんと信じて見ることができました。
小さい私は、どうなるの?大丈夫?と底なしの心配で泣いていましたが、今はのび太達なら大丈夫、と見ていられます。
しずかちゃんなんて最高に逞しくて強くて、良い女になってました(笑)

映画を見ていて、美しいテンプレートだと思いました。
似たような映画が量産される昨今、「何番煎じ」とあしらった映画はいくつもありました。
でも、これは違います。伝統芸です。
ドラえもんに触れる子供たちへ向けられた優しく、美しい映画でした。
このテンプレートを作り上げた過去の大人たち、繋いできた大人たち、今、作って見せてくれた人たち。本当に素晴らしいことを成し遂げ、今もなおやり続けているんだな、と思い心が温かくなりました。

難しくとやかく言うのは誰にだってできます、知識を丸々コピーして口から出しても良いのですから。でも真に理解し物事を伝えるというのは子供たちでも、誰にでもわかる言葉で、シンプルに伝えることができて言えること。
そう、かの有名な宮崎駿が語っていました。
このドラえもんの映画を見て、その言葉を思い出しました。
シンプルで、簡単でありながら、人と人とのつながりで大事なことがたくさん描かれている。
とても良い映画でした。
こういったものを毎年見ることができる、幸せな世の中だなと思いました。

作中、ところどころ良い台詞を聞くにつけ、私の心の中は熱くなりました。
単なる、物語を盛り上げる台詞の役割を持たされているのではなく、その台詞たちは、脚本を書いた辻村深月自身が持ち、伝えていきたいメッセージであったからです。

彼女は、とてもフィクションの世界を愛しています。
本当に、心から愛しています。
『ネオカル日和』というエッセイを読めば、それもいくつかわかりますが、ファンならみんな知っているのが、とにかく彼女がドラえもんが大好きということ。大好きという言葉で足りるか、それもわからないくらい。
本当に、彼女はドラえもんを愛しています。
『凍りのくじら』では章のタイトルにひみつ道具の名前をつけたり、作中にもドラえもんの話題が出てきます。『家族シアター』に収録されている短編「タマシイム・マシンの永遠」もドラえもんに関連しています。

そんな彼女が、ドラえもんの映画の脚本を担当する。
こんなこと、彼女を好きになった2008年には思いもしませんでした。

辻村先生は恩返しがしたいのだと、私は思っています。
彼女が大人になるまで、多感だけど、視野が閉鎖的でネガティブな思春期の頃、支えてもらい生きる希望をもらったフィクションたち。
それらに携わって少しでももらったものを還元して次世代へ同じ喜びを感じてほしいのではないかと思っています。

そんな彼女の、心意気に胸が震えました。
表面張力で耐えていた涙はエンドロールのあるところで崩壊しました。

      原作:藤子・F・不二雄

      脚本:辻村深月

この並びを見たとき、彼女はどんな気持ちだったのか。
たとえようのない多幸感、今までの自分の過去とこれまでが駆け巡って忘れられない瞬間になったのではないかなと思い、涙を我慢できませんでした。

なぜなら、私も同じように、辻村深月にも救われましたし、フィクションの世界に救われて生きてこられた人間だからです。
ポジティブとは縁遠い、鬱屈とした孤独感と自己否定感がありながらルサンチマンも持ち合わせたいやな思春期を。
誰にも相談できない生来の口下手さを。
本を読んで映画を読んで漫画を読んで。
陰気ですが、それで乗り越えて生きてこられたんですから、感謝しかないです。

『冷たい校舎の時は止まる』『子どもたちは夜と遊ぶ』『凍りのくじら』『ぼくのメジャースプーン』『スロウハイツの神様』『名前探しの放課後』『ロードムービー』
私を支えてきてくれた初期の作品です。
今、たくさんの本が出て、辻村深月のいろんな魅力をみられるけれど、彼女の根幹は、上記の作品に描かれているものであり、これがなければ彼女はないと思えます。
このドラえもんの映画を見て、彼女の変わらないフィクションへの愛をまた感じることができて、とても良かったです。

環を思い出したよ。
『スロウハイツの神様』、はじめて読んだときは、ピンときていないところもあったけれど、それから今日まで、彼女の創作活動を見守っている間、何度も思い出す。
彼女の創作への想い、フィクションへの想いは間違いなくそこに詰め込まれてたんだな、と。

変わりながら、それでいて変わらないところも持ち合わせながら、
今もなお、楽しませ続けてくれる辻村深月先生とドラえもんに感謝です。
Ginny

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