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ハッピー・デス・デイ 2Uのkuuのレビュー・感想・評価

ハッピー・デス・デイ 2U(2019年製作の映画)
3.9
『ハッピー・デス・デイ 2U』
映倫区分G.
原題Happy Death Day 2U.
製作年2019年。上映時間100分。

タイムループによって自分が殺される誕生日を何度も繰り返すはめになった女子大生の姿を描いた新感覚ホラー『ハッピー・デス・デイ』の続編。
まぁ、ゼニかけた分だけホラー色は前作より一層後退して、コメディ・SF色が濃くなったし、余計、前作より好き嫌いの差が出るかな。
コメディとしてみたら個人的にはかなり笑えたし、ホロリと胸が熱くなる場面もあったりと面白かった。
老婆心ですが、出来ることなら、前作
本作品を独立して観ることも問題はないかと思いますが、前作とセット(前作を前編、本作品を後編)で鑑賞されますこと推奨します。

タイトルにU2とある。
U2は『2つの次元』を意味する 。
加えて『2U』は"to you"と同じ発音で前作から数えて2作目という意味も込められ付けたのもが公式やそうで、今更ながら、『ハッピー・デス・デイ 』シリーズのタイトルが、
『ハッピー・バース・ディ』と駄洒落でかけてるのを気が付きました😀。
ヒロインはタイムリープを繰り返す日は、誕生日やと何度も描写されとるのに。。。
かなり前に、ミュージシャンU2のボノとジ・エッジがYouTubeにネルソン・マンデラの誕生日に歌う動画をあげてた。
そこには『Happy Birthday-U2』とタイトルがあったのを、クリストファー・B・ランドン監督が見たかは不明やけど、駄洒落としてはかなり似てるなぁ。
映画の中盤に登場する木材粉砕機は、『Biff's Tree Removal』サービスのものとある。
これは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに登場するキャラ、ビフ・タネンの名セリフ『木のようになって、ここから出ていけばいいじゃないか!』にちなんだものらしい。
さらに、これは粉砕機で『除去』される主人公のTree-ツリーの名前をもじった駄洒落やし、先に書いたYouTube云々を監督は駄洒落でカマしてきたんもあながち違うとは云えないかも。
何の話を書いてるんだか😅。

誕生日の繰り返しから抜け出して翌日を迎えたツリー(毒舌は変わらないまでも、愛着はかなり湧いた)は、恋人のカーターと充実した生活を送ろうとしていた。
しかし、今度はカーターのルームメイトのライアンがタイムループに巻き込まれ、謎の殺人鬼に狙われてしまう。やがて、すべての原因が、ある研究に関係していることに気づいた3人だったが、そこで再びツリーの身にもタイムループが起こり、またしても誕生日の朝に戻ってしまう。
ところが、そこは元の世界と微妙に異なったパラレルワールドで。。。
イカれ野郎と対峙する時ベースボールバットには有刺鉄線を巻こうカーター君。

今作品は、ただ単にホラーとタイムリープものを掛け合わせた作品を作りたかっただけなんかと、前作から引き続き考えつつ観てみました。
ほんで、ふと作中にライアンが発明したデバイスを『Sisyphus』と呼んでんのが気になった。
(彼と彼の友人は、略して『Sissy』と呼んどる)。
シシュフォスてのは、ギリシャ神話に登場する人物。
ツリーと同様に死から逃れたシシュフォスは、冥府の世界での罰として、永遠に、毎日まいにち、丘の上に玉石を転がし続けることを強いられ、頂上にたどり着く前に玉石にイカヅチがおち転がって丘の下に戻ってくるというものです。
シシュフォスの話は、表面的には、同じ日を何度も繰り返さなければならず、時間のループから抜け出せないツリーの話に似てる。
もちろん、シシュフォスとは異なり、あくまでも彼女は任務を終えて解放されるまでやけど。
今作品がシーズン3で終わるとは云いきれないが。
製作中の仮称ですが『Happy Death Day To Us』と今作品の続編は製作過程にあるそうやし。
世の中てのは不条理なもの。
人は、いついかなる時にその不条理の真っ只中に陥るかわからへん。
新型コロナウイルスの猛威で世界中の人が身に沁みてわかったことやと思う。
この世の中は、果たして人が生きるに値するモンなんか、小生の敬愛してます俳優でもあるフランスの小説家、劇作家、哲学者A・カミュは、人間は本質的に、全てを理解したいと望む存在でやし、他方で、世界は人間が完全に理解することのできないものであるとしてる。
この両者が拮抗した状態、すなわち、
『全てが明晰だと強く主張する[人間の]理性』とそれを阻む世界の不合理が衝突し、拮抗した状態こそが不条理であるということで、まさしくツリーが置かれてる状況は不条理にほかならへん。
カミュはそこで為すがままに流れるか行動(反抗)を起こすか(もう少しキツイ言葉で彼は述べてるが)、今作品のヒロインのツリーは間違いなく後者で、何度もめげずに行動を起こしてる。
反抗はときとして、同時に人々の間に、『連帯』 solidarité てのが生まれるとカミュは考えてたし、その様に今作品でも、主人公のツリーを中心(本作品前半チョイはルームメイトのライアン中心にと云えるやろけど)に恋人のカーターと、彼のルームメイトのライアン、サマーとドレーとの間に連帯感は生まれてる(心の中からの同意かとは別で)。
反抗が多様性(本作品じゃライアンは人種が違う)と統一性(本作品じゃ真面目な者とビッチな者と)の拮抗状態を維持しようとする姿勢なんやから、連帯もまたその特徴を引き継いでいる。
なんか小難しくなりましたが、今作品を作るに当たっての監督の思いってのは沢山あるやろけど、頭の片隅にカミュの思いがあれば嬉しいし、実際にあるんじゃないかなぁと思いました。
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