原作未読。
カメラワークがいいなと思ったけど 場面転換?シーンの区切りはアレ?と思うことちょこちょこありました。
でも全体を通して丁寧に作られていて美しく胸が震えましたよ。
言葉で説明しない映画だからこそ、言葉で説明できない感動がありました。
私は ピアノの小さなコンクールに出たことがあるけれど、もう、それっきりでダメでした。
競うこと自体が苦手で 場の空気も苦手で 緊張しいで、コンクールはそれっきり。
壇上に上がることといえば発表会ばかりでしたが それもとても緊張して、手がかじかまないように手袋をしてたり、ピアノがある控室は順番に応じて使える時間が決まっていたり、舞台の袖の真っ暗で装置がある独特の空気の感じ。
なんだか懐かしかったです。
だから、松岡茉優演じる亜夜の手袋や手作りの水筒カバーは胸がしめつけられました。そういう優しさに支えられてあの壇上で1人で闘える気がします。
不思議な雰囲気をまとった若者3人が、音楽に捧げていきてきた人が交わる様が美しかったです。
『ギフト』の意味は、塵君が現れたことで亜夜が音を取り戻した、音楽界を豊かにする貢献を塵君がしたのかなて。
で、亜夜もマサルの手助けとなり、なのかなと思いました。
雨の風景と共に、ショパンの雨だれ。
満月を見てドビュッシーの月の光。
素敵すぎました。
クロークの片桐はいりの存在感が最高です。そして そこのカメラワーク?左右対称のカットがこれまた大好物です。
本を読んだ人は、本の方が人物描写が細かくて良いと言ってました。
マサルと塵君はぴったりの キャスティングとも。
そりゃあ本の方が細かくできるだろうな、と思いましたが 実際に音楽を奏でられるという点では映像が優りますよね。
たくさんの音が聞けて だからこその感動もありました。
でも ん?これはどういう意味を持たせたのだろうか?とつかみきれない比喩のシーンもちょこちょこあり、これは原作の描写をもとにしてるのかなあ?わからず…ということはありました。
両方体験するとより楽しいのかもしれない。
松岡茉優ちゃんが、演奏中の髪の毛の乱れ方、落ち方にこだわってセッティングしたとインタビュー見ました。
たしかに そのかいあってか、亜夜の髪型は印象的でした。
それと、マサルの多種多彩なデバイス遣いも 個性が出ててよかった。