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FUGAKU3/さらば愛しのeienのharunomaのレビュー・感想・評価

FUGAKU3/さらば愛しのeien(2016年製作の映画)
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青山真治クロニクルズ The Chronicle(s) of Shinji Aoyama
この本は港区立図書館にあります。

知らなかったが、たぶんそうだろうという撮影、学生時代の裏話やエピソードも豊富で、ファンにはいいのだろうが、
果たして青山真治伝もたむらまさき伝も出版はされまい。
宮崎あおいと三上博史のインタビューはよかった。他にも感受したいいものがこの中にはあるはず。
一に、今まで何も青山真治の映画について書いてこなかった者たちが、実は見ていました的なことを死んでから書くのは馬鹿げている(あなたも死んだら書かれるぞ)し、
追悼文でも思い出エッセイでもなく蓮實重彦、黒沢清が、まともな論考を寄稿していない事実が、まだもって喪に服すなどないことの証左だ。語るべきものは映画それ自身であって、もしかしたら青山真治ではないのかも知れぬ。サンライズは正面ではなく、後ろから、逆から射すのだ。太陽を見ないで、と誰かが言った。テトロ
この分厚いゴダールに寄せた写真カバーの書籍は、紙質が軟調で、シネマ21に近いのだが、なぜ青山真治はハードカバーではないのか、特に追悼で出版されるものは、ほぼソフトだ読む気を失せさせる。「時間軸だと、『金魚姫』のほうが、『空に住む』の後なんですね。」P456

質感として、ゴダール伝のように、毎年手に取ることもあるまい。決定的に違うのは、やはりヌーヴェル・ヴァーグがヌーヴェル・ヴァーグとして存在しないこと、パロディアス・ユニティはあくまでも学生時代であってライフに関わるものではなかったという曖昧な波。ゴダールをしてヌーヴェル・ヴァーグとは家族だったのだと言わしめるものがここにはない。
話し方に演技の型がある人は早死する、青山真治のしゃべりは、ユリイカ以後、まぁ結婚しておしゃれになって以降、長いオブセッションを隠すかのように、出自のわからないべらんめえ口調でキャラを作り始めた、あと短パン。その実、話してる最中に、絶対にほぼ誰も見ていない、瞳は視線を合わせない中に、思考する声があったが、それも今思えば、切り返し得ないとかなんとか。普通に北九弁でよかったのではないか。
追悼はせず、作品も観ず、あるとするなら、見ることのできない映画を夢想するだけだ。永遠の相のもとに
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