サマセット7

ジュラシック・ワールド/新たなる支配者のサマセット7のレビュー・感想・評価

3.5
監督は「ジュラシックワールド」「ザ・ブックオブヘンリー」のコリン・トレヴォロウ。
主演は「ガーディアンズオブギャラクシー」「ジュラシックワールド」のクリス・プラット。

[あらすじ]
前作から4年、世界に恐竜が解き放たれ、混沌と化した世界にて、企業バイオシンは恐竜の保護区を管理するなど、存在感を出していた。
ジュラシックパーク事件の当事者であるエリー・サドラー博士(ローラ・ダーン)は、大量発生した巨大イナゴの原因がバイオシン社にあるとの疑いを抱き、旧友アラン・グラント博士(サム・ニール)に助けを求める。
一方、オーウェン(クリス・プラット)とクレア(ブライス・ダラス・ハワード)は、前作以降保護していたメイジー・ロックウッド(イザベラ・サーマン)とヴェロキラプトルの子供ベータを拐かされ、救出に奔走するが…。

[情報]
1990年刊行のマイケル・クライトンのSF小説「ジュラシックパーク」を原作とする、スティーブン・スピルバーグ監督作品「ジュラシック・パーク」公開(1993)から29年。
今作は、ジュラシックパークと世界観を共有するシリーズの6作品目であり、「ジュラシックワールド」「ジュラシックワールド/炎の王国」に続く三部作の完結編に位置付けられる作品である。

恐竜を当時の最新の映像技術と学説により、リアルに蘇らせた傑作「ジュラシックパーク」以降、続編は、いずれも第一作の良さをいかにして継承発展させるか、という、試行錯誤の連続であった。
リブート的な「ジュラシックワールド」は、一作目で志半ばで潰えた「恐竜のテーマパーク」というアイデアを新たなキャラクターと共に蘇らせ、一定の評価を得た。
しかし、続編の「ジュラシックワールド/炎の王国」は、新基軸のアイデアを投入した結果、賛否両が分かれる作品となった。

そして今作。
第一作のレジェンド的な3博士(グラント、サドラー、マルコム)のカムバックと、前作のラストの恐竜の世界拡散が大々的に報じられ、期待半分、不安半分で公開が待たれていた。

今作のジャンルは、前半は恐竜がそこら中にいる世界におけるお宝争奪戦的なアクション、後半は恐竜満載のクローズな空間からの脱出サバイバル、といったところか。

本日は公開4日目だが、さすがはジュラシックシリーズ、世界的に売上は好調のようだ。
一方、現時点で評価は分かれており、特に批評家からは前作から輪にかけて不評を買っているようである。
とはいえ、一般観衆からはそれなりに支持を集めているように見える。

[見どころ]
新旧恐竜たちの、アクション!アクション!!アクション!!!
パークシリーズとワールドシリーズの主要キャラクター大集合!

[注意]
以下、今作が好きな人が、嫌な気持ちになるかも知れない感想が続く。
不快になる可能性があるなら、スルー推奨である。


[感想]
…うーーーーむ。

いや、楽しんだことは楽しんだ。
エキゾチックなマルタ島での、大型のアトロキラプトルとのチェイスシーンとか。
新恐竜ピロラプトルとか、テリジノサウルスとか。
あの懐かしいディロフォサウルスのホーホーいう声とか。
もちろん、超巨大な肉食恐竜ギガノトサウルスも。
我らがT-レックスも。

そりゃあ、第一作のファンからすると、グラント博士、サドラー博士、マルコム博士の揃い踏みにはテンション上がりますよ。
強制的に。

第一作オマージュのあんなシーンやこんなシーンには、ニヤリとしましたとも。

前2作でいまいち感情移入できなかったオーウェンとクレアもここまで来たら応援しますがね。

ロストワールドみたいに、キャラクターの愚劣な行動にイライラする、ということはなかった。
たしかに。

…しかしなあ。
それにしても。

もう少しなんとかならなかったかね。

私は、評価の分かれた前作も、それなりに良いところを見つけて持ち堪え、だからこそ、前作で広げに広げた風呂敷を、どう畳むのか、楽しみにしていたのだが。

結果、これかあ。
そうかあ。

いや、観客が期待する恐竜サバイバルアクションに、シリーズ集大成、オールスターキャスト、さらに、人類と恐竜の共生まで描くのは、たしかにハードルが高すぎる。
それはわかる。
わかるがなあ…。

このモヤモヤを言語化すると、今のところ、3つか。
1つ。脚本の練り込み不足。
なぜ、このキャラクターが、こんなことを?な描写が多すぎる。
サドラー&グラント?イナゴ?恐竜はどうした?そのミッションの意味は?
マルコム?なぜそこで就職を?
クレア?保護はどうした?というか、そもそも前々作であなたそういう人だったか?
メイジー?ベータの扱い?
ドジソン?あなた第一作で、そういう人だったか?そして、一体全体、何がしたいの?
ウー博士?あなたも、シリーズ通して何がしたいの?
2つ。広げた風呂敷が広げっぱなし問題。
前作で広げた問題、何か解決しましたかね。
というより、解決しようとする人、誰かいましたかね?野生動物が何種か増えただけってこと?
3つ。ブルーの扱い???
前2作であれだけ焦点を当てたヴェロキラプトルのブルー、出番、これだけ?
ふざけてるの???
特に第一作からのヴェロキラプトル至上主義者である私からは、今作の扱いには猛然と抗議したい。

…以上は、シリーズファンの煩い愚痴だ。

細かいことを気にしなければ、今作は、頭空っぽにして楽しめる要素満載の、恐竜サバイバルパニックアクションだ。
映像として面白い表現や、カッコいい表現に溢れている。
恐竜たちの絡むアクションも、さすが、観ている間は、息もつかせない。
シリーズファンへの目配せも多く仕込まれており、前5作を見ていれば、それだけ満足度は高いだろう。

せっかく、このコロナ禍において、懲りずに恐竜映画を作ってくれたのだから、拝んで観ろよ、ということかも知れない。

ただ、私が観たかったのは、これではなかった。
それだけのことだ。

[テーマ考]
シリーズ通じて、ジュラシックパークシリーズは、人間の短絡的な行動、とくに生物科学分野におけるそれが、思わぬ破綻に結びつく、という警鐘を鳴らす点にテーマがある。
これは、マイケル・クライトンの原作由来のテーマである。

今作においても、一応はこの点が継承されている…と思われる。
どちらかと言うと、今作では、恐竜よりも、イナゴの関係でこのメッセージが前に出ていようか。
それも、どうかと思うが。
マルコム博士は、シリーズ通じてこのテーマの伝道師であり、今作でもそれらしい発言がある。

今作単独のテーマとしては、メイジーのアイデンティティを探す旅、という体裁に一応はなっている。
ただし、メイジーは自分探しのために、何か主体的にアクションを起こすわけではない。
本当に製作陣がこのテーマを語りたかったのか、疑問がある。
そもそもジュラシックシリーズで語るべき話か?という気もする。
結局は、前作で無計画に広げた風呂敷に、引き摺られて、したくもない話をせざるを得なかったのではないのか。

むしろ、メイジー関連のテーマが前に出てきた結果、前前作から続く「自然と人の相互理解」という深遠なテーマを含む「オーウェンとブルーの関係性」サーガや、オーウェンとクレアの関係性又はグラントとサドラーの関係性といった重要な人間関係、あるいは、前述のバイオ科学批評などの、真に語るべきテーマがなおざりになってしまっていないか。

シリーズウォッチャーとしてはやはり、ジュラシックパークって、そもそもシリーズ化に向いてないよね、ということを再々再再確認できる点が、メタ的なテーマになるかもしれない。

[まとめ]
恐竜サバイバルパニックの伝説的名作から始まったシリーズの6作目にして、過去作キャラクター大集合の完結編。

なんだかんだ言って、パイロットのケイラあたりのスピンオフでジュラシック続編が出たりしたら、秒で劇場に向かうのだろうな。
結局、恐竜映画が好きなのだ。